》に向い合った二つの焦点となったことに、いい知れぬ、喜びと、同時の有力を感ぜずにはいられないのである。
 尚子夫人の周囲に、今少くとも彼女を批評し得る位置にいるのは、自分だけである。小さい子供等と、無知な召使共と、それ等は、主婦としての彼女の権威で、自由に左右し得る者達ではあるまいか。そうすると、病人となった青年の義弟と、彼女と、自分とだけが、これから続こうとする何かの幕に、出現すべき三人の訳なのである。
 今、尚子夫人が、僅でも彼に注意を向けている場合、彼が忠実な、真実な助手となって、彼女を助け、感謝を受ける、という想像は、勿論正隆にとって、決して不愉快なものではない。彼は、美くしい人から、正しく注がれる感謝は、その感謝の中に含まれた愛は、どんなに芳しいものであるか、知っているのである。けれども、正隆は、その朝ぼらけのような気分のために、身を労することは出来なかった。それでは彼にとって、あまり淡すぎる総てである。ただ、労力を厭うとかいう問題を抜きにして、その心持を甘受出来ない、正隆の傾向は、尚子夫人と、青年との間に横わる、未発の機会が生む詭計《トリック》の、傍観者となろうと、決心したのである。
 決心などと呼ぶべき明かな決定さえ経ずに膝を抱えた正隆の魂は、自ずとその鈍色の薄暗がりにまで滑り込んで来たのである。
 勿論、正隆は、見識のある尚子夫人と、純朴な義弟との間に、何の感情的な拘泥もなかったことは知っている。今まで、或は、この先に凝と竦んで眼を光らせている、或る瞬間、までは、何でもないだろうことを知っているのだ。けれども、正隆は、若し、何の危険もないものとして、心の安定が絶対にまで保証されているのならば、何故尚子夫人は、自分に代理をさせようとするのか、という質問が、持ち出されて来るのである。
 夜中、親が子を看護するのに、誰が用心をするだろう。
 徹夜、姉が弟を守るのに、何の関心が払わるべきであろう。
 それだのに、義姉である尚子夫人が、自分に代理をさせようとするのだ。
 ここに至ると、正隆は、単純に総てを片づけることは出来なくなる。
 人間の魂のうちにある感傷《センチメンタル》と、浪漫的《ロマンテック》とが、或る瞬間の機会《チャンス》と、火花を散らして結合した場合、或は起るかも知れない危険を、賢い尚子夫人は、知っていないとは、思われないのである。
 夫人は、そ
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