き筈」に傍点]のものとして承認せざるを得ないのである。それは、理想として、彼は認める、然し、考えて見ろ、信子は、あの信子は、矢張り一箇の女性なのではないか?
 ここに正隆の、女性に対して馬耳《うまみみ》のサティールとなる原因があるのである。
 たとい、正隆が、信子一人を、悪運の使者だと仮定しても、地上の女性は、決して信子一人を拒絶したことによって滅せられるものではない。
 彼は多くの美くしい人々、優しい人々、心の秀れた女人達を見なければならないだろう。見なければならないのみか、或る程度までは、彼女等の力に支配されずにはいられない。従って、若し正隆が、素直に彼女等の、真の美を、体と魂とに認めるならば、殆ど必然の結果として、彼女を、自分の伴侶として持ちたいという希願、伴侶として生活の素晴らしい改造を行いたいという、希望が起って来ずにはいないのである。
 けれども、正隆は、それを恐怖《おそ》れた。女性に対する尊敬、女性のよき霊魂の承認が、彼を誘って行く方向を見て身震いをした。若し、女性を一歩自分の生活の内面に踏込ませれば、今度こそ、あの恐ろしい呪咀は、どんな詭計を用いて、自分の生命をさえ奪うかも知れない。輝やかしい、清浄な女性の存在と、彼女によって洗われる生活の光輝とを予想しながら、自らの暗さに跼んでいることは、正隆には堪え得ないことである。
 そこで彼は、地上のあらゆる女性の霊魂を虐殺してしまった。魂ぬきの、肥えふとった白い肉体の所有者とした。歎く心も、恨む魂もないものとして、正隆はただ、自分の圧え得ない情慾の、消耗器として女性の全部を見下したのである。
 正隆は、強いても、人間の本能の暗澹たる力の一方のみを肯定しようとした。人間を獣以下にこき下げようとしたのだ。けれども、それは、彼が人間である間は、苦痛なしに出来ることではないだろう。
 どれほど高貴な生活をする女性でも、どれほど、霊的な生活をする女性でも、彼女等が女性である限り、同一の衝動の前に、髪を振り乱す者だと思おうとはしながら、正隆は、さすがに、家庭の幸福を乱そうとするほどの無恥にはなり切れなかった。育ち始めた芽のような少女達を見ると、彼は自ずと、自らの心を刺されずにはいられなかった。それ故、信子夫人を失って以来、彼の性的生活は、自ずと著しく低級な処に、その対象を見出すようになって来たのである。
 そこで正隆は
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