前身を確に知ってはいなかった。まして、村の若い者、仙二位の男達だって、赤児で始めて沢や婆さんの顔を見、怯えて泣き立てて以来、見なれて、改った身元の穿索もせずに来た。村の往道に一本、誰のものとも判らない樫の木が飛び生えていた。その樫の木はいつ其那ところへ芽を出したのだろうとは誰も考えもせず、永年荷馬車を一寸つないだり、子供が攀《よ》じ登りの稽古台にしたり、共同に役立てて暮して来た。沢や婆さんの存在もその通りであった。村人は、彼女が女であって、やはり金や家や着物がないと暮して行けない――自分と同じ人間であることも忘れたようになって、或る時は呼んで按摩をさせた。或る時は留守番をさせ、或る時は台処の土間で豆をむかせた。何かさせれば、大抵その晩は泊めてやった。勿論食事もさせる。場合によっては金もやったが、沢や婆は、ちゃんと金の貰えるようなことは何一つ出来なかった。村では、子供でも養蚕の手伝いをした。彼女は、
「私しゃ、気味がわるうござんしてね、そんな虫、大嫌さ」
と、東京弁で断った。縫物も出来なかった。五月には、
「お百姓なんて辛いもんだね、私にゃ半日辛棒もなりませんや」
と、肩を動して笑った。――本当にこの永い一生、何をして生きて来たんだろう。村の人は、土地に馴れたという丈でやっと犬が吠ないような身装をし、食べ歩いて生きている癖に、高く止っている婆さんを軽蔑した。誰からも愛されず、内心では互にさげすみつつ、食物のたっぷりした処を探しては自分で食って来るので、どうにか此年月が過て来た。

          二

 この瞬間が、いつ迄続くものだろう。
 真先にここに気づいた仙二は、さすが青年団の口ききだけあった。彼は、役場に用事があった時、戸籍係に、沢や婆さんの戸籍を調べて貰った。彼は三十四年目で始めて、彼女が有坂イサヲと云う姓名で、籍は二里近く離れた柳田村にあることを知った。
 此那奇蹟的関心が沢や婆に払われるには原因があった。仙二の家の納屋をなおした小屋に沢や婆は十五年以上暮していた。一月の三分の二はよその屋根の下で眠って来た。夏が去りがけの時、沢や婆さんは腸工合を悪くして寝ついた。何年にもない事であった。一日二日放って置いた仙二夫婦も、四日目には知らない顔を仕切れなくなった。女房のいしが、
「婆さま、塩梅どうだね」
と尋ねて行った。彼女は間もなく戻って、気味わるそうに仙
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