って、新人推薦、発見の方法は幾多の賞を手引きとして講じられた。抑々《そもそも》日本の現代文学の世界で、こんなに幾種類もの賞の流行が、文化統制の気運とともに組織された文芸懇話会賞から始ったというのは、歴史の興味ある容相ではなかろうか。文学の衰弱の声とともに益々賞が殖えて行ったこともただ見ては過ぎ難い。芥川賞第一回以来、幾人かの作家たちが現われたが、その第一回から新人たちが文学の世代として新人とは云い難い文学の閲歴を重ねて来ている人々であることが、特に関心をひいたことも記憶に新しいことがらである。
 文学批評の、批評らしい客観的な存在の薄れたことにも、文学の健やかな進展を要望する傾向からの注意が向けられた。評論の不振に活の入れられなければならない必要も痛感されつつ、今年が迎えられた。窪川鶴次郎の『現代文学論』は昨年の冬出版され、数年来の文学の動向を、個々の現象に即しながらそれを原理に近づいて論考した所産として、少なからぬ興味を有するものであった。
 多岐多難な現代の日本文学が、今日と明日とに向って自身の最大の課題としなければならないのは何であろうか。ひとくちに要約すれば、それは文学に於ける人間の再生の課題であろうと思う。人間は文学の世界において、物に従属させられる人間から、物の主人である人間の現実の生命をとり戻さなければならないであろう。生存の条件の下に自主の力のない運命をくりひろげるものとして描かれている人間の姿は、生活の条件に評価をもって働きかけようとする人間の力の実際で見直されるはずではないだろうか。作家は、社会的な人間としての自分を自身にとり戻して、そのことで観念の奴僕ではない人間精神の積極的な可能を自身に知らなければならないであろう。例えば長篇小説の非文学的な状況の打破も、芸術文学としての長篇の在りようにおいて見きわめられなければならず、そのために、くりかえしなおまた再びくりかえす現実の必然として、作家は創造的な批判の精神を溌溂と発揮し、文学の対象としての人間の歴史的な個性的なその動く姿を、作品のうちに正当な相互関係で甦らせなければなるまいと思われるのである。[#地付き]〔一九四〇年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「日本文学入門」日本評論社
   1940(昭和15)年8月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
2003年7月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全8ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング