のは、今日あるがままの民衆の習俗常識の中へ己を埋没させてゆくことでだけ達成されるものだろうか。民衆は客観的には存在しないといわれたことは、現実として民衆が種々の可能と素質とに於て客観的に存在している事実を抹殺してのことであるから、知識人の批判精神が民衆にとって無用であるという論旨も不幸にして同様の架空性に立たざるを得なかった。
文学の問題としてみれば、誰の目にもその矛盾や架空性が明かであったこの独特な民衆の文学論が、作家の心理に何等か影響する背後の力をもっていて、例えば森山啓の「収獲以前」という小説を生んだりしていることは注目を惹かれる。この小説は言ってみれば文化平衡論を小説にしたようなものであった。困窮な下層小市民の家庭から出て、大学教育まで受け、時代の波に洗われて親が描いたような出世の道は辿らなかった一青年が、遂に自分の教養、知性のまやかしものであることに思い到って、出生した社会層の伝習とその粗野な表現に新しい人間的値うちを見出す心理が描かれたものであった。
このように民衆という言葉は彼方此方へ取り交されたが、文学の実質としての民衆がどのような扱いを受けているかということは亀井
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