ならなかった。
 もし行動主義を唱えた人々が過去の文学と各自の社会人としての閲歴に理想的な批判を向けることさえ出来たならば、大森義太郎のように、嵐が通ってしまってから洞を出て来て、あの嵐のふきかたはどうこうというような批判は、正当に克服しつつ自身の文学的成育を遂げることが出来ただろう。しかしながら、当時このグループの人々は自身の成育の核をそこに見得なかったため、自然動きは文壇内のグループ的な対立に終始しなければならなかった。独自の文芸理論もないために、その能動性は作品の現実では、素朴な行動性《アクティヴィティ》の方向をとらざるを得ず、その行動も社会的な客観性を避けているためにつまりは在り来った両性関係のうちに表現された。而も、両性関係における行動性というものも、本質に於ては日本旧来の男の恋愛行動のままの延長であったことは我々を深く考えさせる点であると思う。
 能動精神という声はフランスにも日本にも聞えており、何か文化の希望を約束するかのようではあったが、現実のあらわれでフランスと日本とは全く異った結果をもたらした。
 日本文学に響いた能動精神は、社会的行動の面で一貫性をもち得ない必然を
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