とは全く対蹠的なキュービズムやダダイズム、構成派の影響を強く受けて、それを独自なよりどころとしようとしたことも充分うなずける。
 当時「新感覚派」はプロレタリア文学に不満を持つ広い範囲の知識人、文学愛好者の支持を受けたものであったが、文学の流派としては僅かの寿命で衰退したことも、日本の文化の伝統の性質と考え合せて意味深く思われる。大戦後のフランスで過去の文化の崩壊の形として現れたキュービズム、構成派、ダダイズム等は自然の歴史の流れに随って前進してある部分はより建設的な方向へ合流したのであったが、「新感覚派」がわがものとして身につけようとしたその日本らしい影響は、過去にそれらの流派を生み出した文化伝統を持たないと同時に、プロレタリア文学に対立したものとして自身を規定したことから、流派として短い命しかもち得なかったことも理解される。昭和という年は、文学史の最初の頁を芥川龍之介の自殺(昭和二年)によって開いた。
 大正の前半期に文学の同世代として衆目を引く出発をした芥川龍之介は、他の同輩菊池寛や久米正雄のようにそれぞれの才能の易きについて大衆文学へ移ることをしなかった。プロレタリア文学の擡頭
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