を自ら批評するということと、己れの感情を社会的に批評するということと、現実に於てどこが違うか」と、いかにも当時の文学雰囲気の嫡子らしく、自己というものの社会性には目をそらしているのである。彼の現実認識のよりどころは個性の感性に置かれているのであったが、その感性そのものも「オフェリア遺文」が計らずも告白している通り統一された具象性を持たないものであった。「言葉というものは、こんがらかそうと思えばいくらだってこんがらかすことが出来ます」「あゝ、此世は空し」「問題を解くことゝ解かないこととは大変よく似ている」このようにして評論家としての小林秀雄は、対象の本質の核心に迫ってそれを明らかにし得ないまま、対象の感性的な印象の周辺をかけめぐることとなった。その果のない駈けめぐりの姿を精緻ならしめ、豊かならしめようとして、表現の逆説的な手法を己れの特色とした。小林秀雄の文芸批評が、当時から一般読者に迎えられるようになったのは、それが時代と文学の在りようを解明する力を持っていたからではなくて、その力を失った所謂知性の時代的なスタイルそのものが共感をもたれたことが最大の原因である。
 この評論家と横光利一の「高邁な精神」とは、紛れもない時代の双児であった。この作家と評論家とは手をとり合って、自意識の摸索を続けた結果、遂に横光利一の純粋小説論に辿りついた。
 文学に於ける自我の探究が自我を自己目的とした時、現実関係の中に生きている人間像は作家の内的世界から失われる。そして、自意識は主我的にのみ発動することとなり、「自分を見る自分」と云う新しい存在が作品に登場し、横光利一はそれを第四人称と名づけた。ところで四人称の自我は、現実の認識と実践との統一の破れた象徴として現れているのだから、如何に見ている自分[#「見ている自分」に傍点]があろうとも、生活者としての自分、生活現象としての人間関係のすべては、そうやってただ見ることを目的として見ているだけで無力な自分には拘りなく刻々と移る日常の波に押されるままのものとして追随されざるを得ない。ここから、四人称という観念の発明が提出されているにも拘らず、作品の主調はあり合わす現実に屈服して全く通俗化の方向を辿るばかりとなった。
 観念的な用語の上では一見非常に手がこんでいるように見えて、内実は卑俗なものへの屈従であるような現実把握の芸術化の過程に於ける分裂は、その頃「癩」「獄」等によって作家としての活動を始めた島木健作の芸術にも独自な姿で反映している。
 石坂洋次郎の「若い人」の芸術性にもこれが貫いている。この二人の作家の時代的な本質については、後にやや詳しく触れることとして、当時のこのような心理は、他の角度に於て武田麟太郎の市井小説の提案を生む動機となった。『人民文庫』による、武田麟太郎は、西鶴が市井生活のリアルな描写をとおして十八世紀日本の所謂元禄時代の姿を今日にまざまざと伝えていることに倣って、現代の市井のあれこれの営みの姿を描き、市井の「現実にまびれ」て生きることでその中から観念の戯画でない人間くさい小説を生み出そうとした。しかしながらこの創作の態度も、現実を観てゆくよりどころを明確にし得ない時代の本質を骨格のうちに分けもっているために作品の実際に当って風俗小説以上に作品の世界を高めることは困難であった。この時期に現れた永井荷風の「ひかげの花」谷崎潤一郎の「春琴抄」等が与えられた称讚の性質も見遁せないものを持っている。先に文芸復興の声と共に流行した古典の研究、明治文学の見直し等が、正当な方法を否定していたために、新しい作家の新しい文学創造の養いとなり得なかったことを見て来たが、この過去への瞥見が谷崎、永井、正宗、徳田など、最近の数年間は活動の目立たなかった自然主義以来の作家たちの創作慾の甦りとして作用したことは興味深い事実であった。「ひかげの花」にしろ「春琴抄」にしろそれぞれの作家の年来の特色を年来の色調のままに発揮したものであり、特に「春琴抄」は物語の様式をつかわれて、同じ耽美的の被虐性を描くにしても往年のこの作者が試みた描写での執拗な追究、創造は廃されている。
 谷崎潤一郎がこの作品に触れての感想で、自分も年を取ったせいか描写でゆく方法が億劫《おっくう》になって来たという意味の言葉を洩し、創作態度としての物語への移行が、作家としての真の発展を意味しないことを言外にこめている。当の作者がそのような自覚に立っているにも拘らず「ひかげの花」もこの作品も、さすがは叩き込んだ芸の巧さ[#「叩き込んだ芸の巧さ」に傍点]と云う点で甚だもてはやされた。芸の巧さということが、切り離されて人々の口の端に喧しく取上げられ始めた。作家に一定の技術が求められることは当然であるけれども、人間の現実をうつすものとしての内容の本質的な
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