作の実際に当って内容と形式が分裂したような形で作家の前にあらわれていたために生じた一種の困難、及び積極的な生活の日常的な現実と作品の創作される過程としての創作方法の解釈の間に見られていた関係の機械的なところなどが相俟って、ある困惑に陥っていた当時のプロレタリア作家は、この埒を解いたような文芸復興の声に惹かれる心理があった。
 前後して日本に紹介され始めた社会主義的リアリズムというものも、この混乱に際してそれを整理するよりは却って一層の紛糾をもたらすものとなった。当時の日本の文学界の心理は、この文学の新しい課題をその歴史的な背景の全部に触れて理解しようとするよりも先きに、先ずこの新しい提案の中から当時の気分にふさわしいと思われる条件だけを好みに応じた説明法で取り入れた。その中心的な箇条の一つは、知識人の社会的評価に関するもので、従来社会的にも文学的にも知識人一般というものが抽象的にこの世の中に在るのではなくて、歴史と社会の層に属して現実を生きつつあるものだと云われ、従って歴史に対する知識人の進歩的な態度、保守の態度というものが、作品の問題にも常に触れて来た。ところが当時の新リアリズムの説明者たちは、知識人の以上のような現実を消して、新リアリズムは知識人はあるがままの知識人として、作家はあるがままの作家としてあるがままの現実を描き出してゆけば、作品そのものが歴史を語ると規定しているとした。
 当時の気分にとってこれは便宜な考え方であったかも知れないが、明治以来の日本文学の成長のためには画期的な一つの蹉《つまず》きとなったと思われる。自然主義以来発達して来た個人主義的なリアリズムがその十年の間にようよう社会的なリアリズムにまで成長しかけたその萌芽が、この新リアリズムの便宜的な解釈と共に萎え凋んだ。そればかりでなく、時代の複雑な相貌の必然から、リアリズムは再びもとの自然主義後のリアリズムの古巣へ立ち戻ることも不可能である。その古き巣は時代の広汎な現実を包みかねるのである。リアリズムは謂わばこの時期に於て路頭に迷い出した。今日に引き続く不幸なリアリズムの彷徨の一歩は、当時に於て踏み出されたのであった。リアリズムの彷徨の一歩と現代文学に於ける自我の喪失とは、胡弓とその弓とのような関係で極めて時代的な音調を立て始めたのである。
 さて、文芸復興の声は盛んであるが、果して文芸は当時復興したであろうか。声が響いているばかりで、現実には新たな文芸思潮というべきものも生れなかったし、新しい意味を持った作品の一つも出現しなかった。
 この実際の事情は、文芸復興を提唱した一群の作家たちにいい作品を生むためには先ず古典を摂取せよという第二の声を起させた。作家の間にバルザック、ドストイェフスキー、スタンダールなどの読み直しが流行したのであったが、この古典の読み直しに際しても所謂《いわゆる》新しいリアリズムの解釈法が附きまとって、例えば、バルザックについての目安は、このフランスの大作家が王党であったにも拘らず小説に描いた現実は当時のフランスの歴史を進歩の方向で反映している、即ち作家の社会的見解などにかかわらず、小説はそのものとして進歩的なものであると云う文芸復興提唱者たちの日頃の持論を裏づけるところに置かれた。歴史的な生活感情の相異に対する敏感さを欠いた古典のかような味い方が、当時の古典流行から何一つこれぞという文学上の収穫をもたらさなかったことは、むしろ当然というべきではないだろうか。このような古典研究から導き出されたものはロマン派のギリシャ文化への憧憬、日本の古代文化への超現実な渇仰等であった。
 古典から学べという声は、つづいて作家の教養を高めよという問題をもひき起した。日本文学の伝統の中には従来作家の作家気質ともいうようなものがあって、作家は教養で書くのではない、作家魂で書くのだという心持ちが流れて来ている。この気分は、例えば新感覚派や新興芸術派の無理論性となって現れたし、作家は何でも書きさえすればよいという当時のリアリズムの解釈法の底にも流れ入って、社会的な心理の傾向と綯《な》い合され文学の現実追随への一条件となっているのであるが、今日顧みて興味あることは、当時改めて強調された教養を高めよの問題では、これまで作家の主観の中では頼られていた作家魂の衰退が、暗黙に告白されている点である。作家魂という表現も、つまりは作家に自覚されている自我の誇りに拠っていたものであろう。当時云われた教養を高めよということは謂わばその作家魂の主体を失った人々が、教養でその空隙を埋めようと志した試みの一つであったが、既に教養が文学創造のための何かの足しになるためには必須な現実判断の力を我から否定している以上、この教養へのあがきも文学を肥え太らすものとしては甲斐がなかった。

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