り同じ径路を繰り返す。
可哀そうになって、私は雛の剥製を籠から出してしまった。そしてもう見えない処に置き、また様子を窺った。
余程空腹であったと見え、戻った雌が再び下りて来る。実に注意し、気の毒なほど頭を動かし、そろそろ逃げる用心をしながら枝から枝へと伝って来るのである。先刻の黄色い変なものがいないことだけは分ったのだろう、元よりは低く降りた。而も、まだまだ下に降り切ることが出来ず、躊躇し、躊躇して足を踏みかえている。ところへ、彼女の連れ合いが来た。やはり覚えていて下を見る。が、二度三度場所をかえて覗くと、勢をつけて、さっと餌壺の際に下り立った。そして、粟を散らしながらツウツウと短い暖味のある声で雌を呼び寄せるのである。
雌を驚かせて、気の毒には思うが、自分には、実に心深い見ものであった。こればかりでなく、新しく籠に入れられ、自分達の巣を定めようとする時にも、雌雄はその態度が異う。雌が、ふるくからいるものに驚かされて、やたらに籠中を逃げ廻ったり、そうかと思うと呑気そうに羽づくろいや身じまいなどをする間に、雄は、攻撃的に、動的に、自分等の住居を決めようとする。文鳥が始めて来た時などは、特にそれが著しく、自分は興深いことに思われた。
じゅうしまつは、いかにも家庭的に内気である。二羽ながら巣にこもり、白と薄茶色のまだらの頭をのぞかせて、おだやかに引立つこともなく暮して行く。
頭がつやつやと黒く、体は全体金茶色で、うす灰色の嘴と共に落付いて見えるきんぱらは、嘗て見苦しいほど物に動じたのを、私は見たことがない。雌雄も、地味な友情で結ばれているように、仲間とも馴染まず、避けず、どんな新来者があっても、こればかりは意気地なくつつかれるようなことはしない。
見ても愛らしいのは、実に紅雀だ。四羽の雌と雄とが、丸い小さい紅や鶯茶の体で、輝く日だまりにチチ、チチと押しあいへしあいしているのを見ると、しかんだ眉も自らのびる。
心に何もない幼児のように、ついと嘴を押して、ぴったり隣によりついた仲間の羽虫をとってやる。いい心持なのだろう。取られる方は、のびのびと眼をつぶり、頭の上にあおむけ、いつまでもいつまでもという風に喉の下などを任せている。仲間がもうやめにして自分の羽根をつくろっていても、まだもっとというように、いつまでも頭を下げようとしない。
ツツと彼方の端から順々に押して来るので、此方の端のは、止り木の上で片脚を幼く踏張り、頸を曲げて身を支えている。それでもかなわなくなれば、構わない。彼はさっと立って頭の上から真中に割り込み、また自分で、ツツ、ツツと仲間の方によって行くのである。――
私共の家にいる文鳥は、名こそ文鳥だけれども、どうも、「彼岸過迄、四篇」の文鳥とは、たちが異うように思われる。漱石先生の心が華奢であったのか、私の見る文鳥は、決してあれほど、ろうたくはない。こまやかな銀灰色の体がぽってりと大らかで、白い頬、黒い頭、薄紅の嘴などは、あでやかな桃の咲く頃を想わせる。春の鳥という心がする。けれども、狙いをつけていざ飛ぼうなどとする時、翼を引緊めた姿を横から見ると、大きい肉色の嘴は、何という毒々しく、猛々しく感じられることだろう……
――いつか四辺がひっそりとなった。小鳥はもう囀らない。はしばしがとけ、土にくまどられた雪の上に、二条三条、鋭い金の西日が止まっている。
[#地付き]〔一九二二年四月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「明星」第6号
1922(大正11)年4月1日発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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