たが、帯ひろ前であった。何処からか帰ったところと見え、もちゃもちゃの髪に木の葉が一枚ついていた。いしは当惑した。ぐると思われているらしいのが、彼女には何より迷惑であった。いしは、ろくを怒鳴りつけた。
「いつの間に、何処へ行っていたんだよ! 旦那にお世話までやかして。まさか盗みに行ったんじゃあなかろう、ちゃんと申上げな。お前のおかげで、私までとんだ迷惑をするじゃあないか」
 ろくの手を引張りながら、いしは駐在に云った。
「どうも、まことに相すみません、一体この女はねどうも足りないもんでございますから、この間も行方知れずになったりなんぞして……いくら家にいるもんでも、御法に触れるようなことをしたんなら、仕様がございません、充分お調べ下さった方が手前共も証が立って嬉しゅうございます。――それにしてもお立ちでは……さ、どうぞ、こちらに一寸おかけなすっていただきましょう」
 いしは、縁側に座蒲団を出した。駐在は、ぎごちない様子で座蒲団の端に腰を卸した。物音で、せきも起きて来た。彼女は、怯えたように、しおたれて立っているろくと厳しい駐在とを見較べた。彼女は囁きでいしに訊いた。
「どうしたんです、おろくさん」
 いしは、大きな声で不平そうに答えた。
「さあ、それが私にもまだ分らないのさ」
 駐在は、せきを検視するように見ながら尋ねた。
「お前この女と一緒に寝ているのかいつも」
「ええ」
「一緒に寝ながら、脱け出すのが分らなかったのか」
 彼の艶々した血色の好い顔が、このとき意地わるいように見えた。彼は、内心一種の亢奮を感じていた。一体、有名な寺院などのあるところに限って風紀がわるい。自分をこの村に廻された以上、万一法規に触れるような現場でも見つけたら、大いに手腕を振う覚悟であった。何の気なく、黎明の空気を吸いながら散歩をしていると、××寺の杉叢のところから女が出て来た。謂わば出来心で訊くと小松屋の女中であった。行った先、用向きを尋ねても云えない。彼は、何事かを直覚したように感じた。そして、店まで引連れて来たのであった。
 駐在は、ねつい口調でろくを訊問した。
「お前の姓名は何というんだ」
 ろくは、すっかり畏れ、蒼いむくんだ顔をあげて駐在の顔ばかり見つめた。
「苗字は何というのか、お前の」
「……山田」
「名は?」
「――ろく」
「いくつだ」
「二十三」
 いしは、駐在がこんな不意のときでも、ちゃんと手帳を出し、一々書きつけるのを、憎らしいと思った。
「誰の世話で来たのか、この家に」
 いしが、愛素を失うまいと口を出した。
「博労の重次さんが、手前で困ってるのを見かねて、ほんの目見得につれて来てくれたんですよ。まだ一月もおりませんのです」
 駐在は、いしを見向きもせず、訊問をつづけた。
「お前、さっき××寺から出て来たが、中で何をしていた?」
「まあ! ××寺へ行っていたなんて……」
「おい、何しに行っていた、ちゃんと云わないと警察につれて行って調べなきゃあならんぞ」
 ろくは、哀れな顔をして泣き出した。
「御免なさい……私……」
「私がどうしたんだよ、泣いたって仕様がない、はきはきしな」
「私……」
 ろくはますますしゃくり上げた。
「私……何も盗りはしません、ただあすこにいる権……権さんのところへ行っただけです」
「誰だい、権というのは」
「……権さんです」
 駐在は、短い鉛筆で手帳を叩いた。
「――権さんだけじゃあ分らない」
「……ああ、じゃああの男が権さんていうのかい、こないだ蒲団を背負って行った出眼の男が」
 ろくは、合点をした。いしは、吻っとした心持を覚えながら説明した。
「何でございます、権さんてのは、××寺の寺男のようなことをしている、矢張り、まあ一寸、気がよすぎる男のことです」
「ふーむ」
 駐在は、やや興味を殺《そ》がれたように見えた。彼は、片手で顎を撫でながら、考えていたが、また訊き出した。
「もとは何処にいた?」
「町です」
「鎌倉か?」
「ええ」
「××でもしていたんだろう」
「御冗談でしょう!」
 いしが高飛車に応じた。
「御覧になったって分りますわ」
「本人に訊いているんだ。――お前男と関係したのは今度始めてか」
 ろくは、汚く涙で穢れた眼の隅から、駐在を偸見て体を揺った。
「町でも何かあったのか」
 これは滑稽な問答であった。ろくは、真面目に、
「――ええ、あの牛乳屋さんが」
と白状した。然し、何という牛乳屋かというと、ろくは、名も住所も知ってはいなかった。駐在は、始りの緊張を失い、ろくの愚しさを慰むように、次から次へ、
「それから、もうないか」
と訊いた。ろくは、隠すと、牢にでも入れられるかと思うらしく、本当に正直に答えた。
「いいえ……あの巡査さんも……」
 駐在は、
「ふむ」
と、妙な咳払いをした。いし
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