家論は、当時の日本の権力が戦争推進のためどんなに現実を歪めた観念を社会のあらゆる面に流布しはじめたかということと、近代市民社会の生活史をもたない日本の文化人が自身の内なる封建性と非社会性によってどんなにその強権に屈伏したか、それらとのたたかいは、どんなに困難であったかということを示している。
これらの作家論のなかで、「山本有三氏の境地」などは、こんにち読むと、いくらか甘いものに見えてきた。これが書かれたのちの人及び作家としての山本有三の動きには、外面にあらわれない政治的な複雑さもあったらしく判断される。近い将来にもっとずっとつっこんだ立体的な山本有三論がかかれなければならない。
バルザックやジイドについての評論は、過去の外国文学紹介者が共通に陥っていた一つの欠点に対して関心を示したものであった。日本の民衆生活に世界的感覚がつちかわれていないためにまた、社会史の上でヨーロッパ市民との間にくいちがいがあるために、或る場合、或る種の人々が、一定の利害を合理化すために外国作家をかつぎあげることがはやった。もう、わたしたちは、きょうになってまでも、また再びそういう悲喜劇をくりかえしたいとは思
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング