の意味、性質を理解すること、それを歴史の発展の方向にそって処理してゆくことが生活の日常の問題で、憂鬱だとか、不安だとか、坐っていっているひまがある、そのことが実はそうひどい重荷を背負わされていないということになるのではないかと思われる点もあります。
 こう話すと大へん抽象的な答えであって、少し冗談をいえば、私に生れつきもうちょっと気のきいたジャーナリスティックな答を思いつく気質のないようなところが重荷の一つであるようなものですが、考えてみるとなかなか面白いと思う。つまり私のように重荷として考えてみれば実際日常すべての面に重荷を負っている者が、その荷の現実的な性質とその必然性を自分なりに理解していることで、心持の上では、刻々重荷とは感じないで生きているということ、そういう人間の生活に対する力というものは面白いものであると思う次第です。
 いつぞや窪川稲子が『婦人文芸』に現代の婦人作家が社会生活の点から負うている重荷のことについて書いていたことがありますが、実際、今日の社会で女としての生活、婦人作家としての生活をふたつながら立派に打ちたててゆくということは非常な努力のいることであります。

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