芸術的創作というものはただ自分の負うている重荷を重荷としてだけ感じたところで、それは芸術品として創りあげられるものではなくて、やっぱり広い目から自身の重荷の本質を見きわめてはじめてそれを作品化することができる。だからさまざまな点で大きい意味のある社会的な経験をへたとしても、その婦人に十分の把握力がなければ作品としてそれだけの客観的価値を持つことが困難になってきます。
このことは私どもが自身の問題としてしばしば経験していることであるし、また、昨年のうちに発表された野上彌生子さんの「小鬼の歌」という作品などは、その点について大きな警告を婦人作家に向ってあたえたものといえると思います。婦人作家としてあれほどの努力家であり、鍛錬も積まれている野上さんでも、ああいう自分の妻、母として直接に生活に迫って起った問題に対しては、あの作で扱われた範囲においては、結局良人の世界観の限界を自身の芸術家的限界としてしまっている点、そのようなワクがいつとも知らずに自分の芸術的生涯にかけられているということ、それを自覚されない無邪気さ、そういうものについて私は強烈な印象を受けました。
野上さんはこのことを、どの点まで日本の婦人作家が負うている重荷として自覚しておられるでありましょうか。私は野上さんを尊敬しているし、努力的な勉強にも学ぶべき点を発見していますが、この一点に関してはおそらく作者自身より、あるいは野上さんが十分自覚されなかったであろうほど、それを社会的な意味で自分自身が作家的生涯において解決の端緒をあたえなければならない重荷のひとつとして感じているようなわけです。[#地付き]〔一九三六年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「読売新聞」
1936(昭和11)年7月28日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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