。それが知りたい。
人間の成長と環境との関係を真剣に考える人々は、お祝の儀式がすんだ後の永い歳月を子供たちがいかに閲《けみ》して行くかという人生の事実にこまやかな視線を向けずにはいられまい。
目に余る贅沢
金銀の使用がとめられている時代なのにデパートの特別売場の飾窓には、金糸や銀糸をぎっしり織込んだ反物が出ていて、その最新流行品は高価だが、或る種の女のひとはその金めだろうけれどいかつい新品を身につけて不思議もなさそうな面ざしであった。この初夏に一反百円のお召単衣はおどろくに足りないもののように現れていたし、レース羽織というものも出来た。
それらはいずれも、金はあるところにはあるもんなんですよ、と声に出してささやいているようであった。
婦人挺身隊
贅沢品の製造がとめられることになり、贅沢を警告する任務が精勤の婦人挺身隊にゆだねられることになった。
この日本で、女の贅沢をひかえさせるために女の挺身隊がいるなどとは、何と情ないことだろう。今の時代に目にあまる贅沢などというものは、つまり女が社会を見ている眼の狭さ、小ささ、愚かしさを語るだけのものだ。ひとの儲ける金を浪費する女の感情のだらしなさが映っている。
素人の女が玄人っぽいまねをするという近頃の一部の傾向も、その機会にあたっているのである。
婦人と読書
相変らず本がよく売れている。女のひとも本をよけい読むようになったのは嬉しい。
けれども、本をよむ婦人の何割が未婚のひとで、その何割が家庭をもっている婦人たちだろうか。妻たちよ。母たちよ。肉体のいよいよ永い若々しさへの努力とともに、精神の若い弾力を保つ心がけこそ、新しい日本の女性の美の必要であると思う。
教壇の未亡人
勇士の未亡人で、新しい生活の道を教壇に見出したひとたちが、いよいよ一ヵ年の師範教育を終えて、九段の対面もすました。
百数十名のこれらの健康な夫人たち若い母たちが、子供と共に経験したこの一年には一言で尽しきれない決心と希望と努力とがこめられている。
決意のかたいこの人々が益々体も健やかに精神のひろやかなゆとりをも持って活動される事を切望する。
只でさえ女の先生を見る周囲の目は、そこに女の鑑を見ようとする傾きがつよいが、勇士の妻という事を、女先生の責任感に加重
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