ムからは期待されまいと思う。
どんな主婦も、その前は娘たちであるのだし、今日の若い娘たちがやがて主婦となるという現実から、今日の日本の学校教育が若い婦人たちにどのような政治的訓練を与えているかを見直される必要があると思う。
政治の本来は自ら自らを治める力と方法との自覚の謂であろうし、万民翼賛の思想にしろその本質に立つものと思うが、たとえば女子の高等程度の学校で、女生徒たちは昨今何かの自主的な活動に訓練されているのであろうか。
学校の寄宿舎生の間に、自分たちで組織している物資融通機関のようなものや、輪読会のようなものや、級自治会のようなものはあるのだろうか。自分たちの生活の必要にたって、必要を整理解決してゆく政治の初歩的なそういう習慣が女学校生活の何年間かに養われるということは、将来に意味あることだろうと思う。
現在ではその間、またさまざま微妙な関係が生じているのではないだろうか。集団の行動を奨励している他の反面では、男や女の学生たちが自分たちで集って何かきめてやるということについて学校当局は神経を過敏に動かすのではないだろうか。
政治的成長というものは、いってみればそのような撞着的事象の本体を洞察して、その間から何か積極的な合理的な人間生活建設の可能をとらえてゆく動的な生活的叡智、行動にほかならないのであろうと思う。そして、ある場合には、婦人の真の政治的な成熟のために、いたずらに画一的な、便宜主義の、判断のない、投票の数をかき集め式な目的をもつ婦人の政治的参加に対しては、婦人自ら追随を拒む必要も生じるであろう。婦人はあくまで自分たちの日常の生活をみきわめて、そこからの智慧と判断で鋭く判断して、成長して行かなければならないのだと思う。[#地付き]〔一九四一年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「教育」
1941(昭和16)年1月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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