な新鮮な政治の理解に立ち、自分たちの日常の生活処理にかかわることとして政治的成長を遂げてゆくことは、決してたやすいことではないと思う。
 隣組ができて、そして物資の問題が切迫するようになって来てから、婦人の政治的関心が高まったということも聞くけれども、「贅沢は敵だ」というような標語をその文字の意味で理解するようになったというのが、婦人の政治的成長というのは、あまり、安易な解釈と自己弁護であろう。
 成長をうながす一つの方法として、一部では隣組に主婦会をおいて、主婦というものを一つの職能として上部の組織へも代表を送り出して発言する可能をつくろうと考慮中らしい。
 主婦という立場を職能とみるべきであるという考えは、日本の新体制からはじまったことではなく、社会施設の完備を目ざしている国々ではドイツでもソヴェト・ロシアでも、主婦の仕事を社会構成上の一職能として評価している。しかしながらきわめて興味あることは、そのようにして主婦に職能としての社会的評価を明らかにしているところでは、そのような婦人に対する社会的評価そのものからみな選挙権その他市民としての政治力を認めていることである。
 現在政府の各種委員会に婦人代表として参加している婦人委員たちが、いかなる扱いをそこで受けているかということは、たとえば最近制定された女子の賃銀問題についてみても明らかであると思う。
 政治上の権利をもったからといって女が幸福にならず、良人や子供たちを幸福にするものでもないことは自明だけれど、この社会にあって幸福を守り、つくり出してゆく条件の可能を増してゆくためには、一定の社会的評価と契約の表現として、政治上の力は女にとって必要なのである。
 一二年来、国防婦人会、愛国婦人会その他婦人を家庭の外へ外へと動員する傾向がつよめられて一般家庭の感情には、婦人を家へ、と取りかえしたい心持が相当湧いて来ていると思われる。
 この感情は、婦人の政治的な向上をともすれば外出がちな形をもたらすものと思いちがえさせ、保守に傾かせる危険をもっている。政治的な成長ということは、必ずしも隣組選出の区議を当選させるために主婦たちが活躍するというような末梢のことではあるまい。
 大きく日本の世界におけるありようを知って、自分の愛する家族たちの動き、浮沈について利害をこえた理解同情をも抱ける婦人の感情の高まりは、単純なヒロイズ
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