。労働基準法では少年の労働について保護的な規定をもうけているし、労働組合が青少年婦人の待遇改善を要求している。生活必需品の値上げについて賃上げ要求をして七百円から千五百円になり、千八百円ベースの今日、物価はぐっと高くなり公定価も上って、とても千八百円ベースではやって行けなくなっている。つつましく暮して四人家族で五千六百円ばかりかかる現実となった。大学生一人二千五百円もなくてはやれない。あとの三年は通信教授でもいいということになれば郵便のとどくところならば、どこにいても義務教育は完了されるというわけだろうか。学校へ行けないで生活のために工場へやられ職人の内弟子となった子供達に、どんな勉強のゆとりが与えられるだろう。
 婦人の問題として繊維産業をみると今日の婦人労働の最低のありさまがよくわかる。どこの紡績工場でも、大体寄宿舎制で、そこに国民学校六年を終っただけの十四五から二十歳前の娘が、何万人と働かせられている。喰べるものは会社で賄って、働いた給料は、すべての紡績工場で、ほとんど全額を娘さんにわたすところはない。その何パーセントしか渡さない。会社で積立てている。四国の郡是という工場では、去年の秋ごろ、二百三十円前後の収入というのが一番多かった。何百、何千、何万の娘たちの給料の半額を会社で預って、預った金を一ヵ月間会社のために流用するなら、その金融的効力はどのくらいだろう。六年制の国民学校を出ただけの、子供のような女工さんには、こまかい話はしても判らない。会社は若い娘の夢をもたせるために、工場の建物を白く塗って、きれいな花壇をつくったり演芸会をしたり、工場の内に女学校の模型のようなものをおいて、お茶や、お花などをやらせている。その若い娘たちの文化水準が、とりも直さず、日本の婦人の文化的水準の基礎となっている。最も労働条件のおくれた日本の紡績産業に働く娘さんたちのもっている最低の文化的水準が、日本の民主的文化水準の底辺なのである。
 人民の文学、民主的文学の課題はここから第一歩の出発をよぎなくされている。六年間の義務教育で四年の実力しかなかったのだから、六・三制で六年だけ出た若い人が四年修業者だということは明瞭な事実である。智能の低い、考え判断する能力を与えられていない人民の多数が、自分たちの貧困を克服するために、組織的に行動するよりもアナーキーに陥り、選挙権をもっていてもどういう政党に投票してよいか分別もつかないで、資本主義の搾取というものに疑問をもたない人間として育ってゆくとしたら日本の民主化というようなことは実現しないどころか、政府の無力のため或は無力であることを標榜するより深刻な打算によって、人民大衆は、全く奴隷化した状態におとされてしまわないものでもない。自分の国の政府によって、人民が隷属の立場に追われるようなことを誰が承服出来よう。
 このような現実を現実として見て、それを改善の方向に導こうとする意志。それこそ今日の日本人民にとって生きている文化性であり、文学の内容であり、その素材である。今日の文学は芭蕉の風流より、もっと社会的要素において深刻であり、客観的必然に立っている。
 愛情の問題においてもデスデモーナのハンカチーフは捨てられなければならない。婦人の生活も、自分の支配者である男のために、女らしさを粧うのではなく、ほんとうに人民の幸福をうちたててゆく道で互に頼りになる男女として、ほんとうに女らしく生きられる条件をつくり出してゆく情熱でなければならない。のぞましい社会の招来のために、その建設の方へ一歩一歩と前進の旅をつづけなければならない。そこに新しい世代の詩があり、歌があり、文学があり、また行進曲があるのだと思う。
 文学は何か現実生活とはなれたもののように考えられている習慣があったけれども、決してそうではない。文学は一つの歴史的・階級的な行動であると云える。行動は生存の意義のために、発展の方向を持つことが当然である。わたしたちはこの多難な社会生活の間で自分の爪先がどっちを向いているかということを知ることが大切である。文学に大切な個性ということも、つまりは社会と、そこに存在する階級と自分とはどういう関係にあるかということを理解し、その関係にどう積極的に働きかけてゆこうとしているかという現実のうちに個性はきたえられる。われわれの一歩は、われわれの一生にとってかけがえのない一歩である。私たちは生きる権利をもっている。良心にしたがって、あることを肯定し、あることを拒絶し、社会と自分のために労作し、生を愛するうたを歌う権利がある。その権利を知り、実現する義務をもっているのである。
 文学につれてよく才能ということが云われる。わたしは才能ということにふれて語られている一つの忘られない言葉をここにしるそう。
「すべての才能は義務である。」[#地付き]〔一九四七年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「女性の歴史」婦人民主クラブ出版部
   1948(昭和23)年4月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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