ろうか。九年制にしてどの子供もその間は勉強出来るように国庫がその保証をしてやらなければこのインフレーションの中で月謝を払い御飯を食べさせ学用品を買ってやるということは益々貧困化して来ている親の多数にとって負担である。
 文部省にこの実状がわかっていない筈はないのに、六・三と分けて、後の三年は通信教授だけでもいいということを法文化しようとしている。あとの三年は実際に学校へ行かないでもただ通信教授をうけただけで義務教育は終ったということになる。第一、初等中学三年という新しくふえた生徒のために学校が足りない、教師がない。教科書さえそろわない。しかも一応六年を終った年ごろで親の役に立つようになった子供は買出しの手つだいにも行ったりして困難な日々のやりくりにまきこまれ時間がない。戦災者、復員者、引揚者みんな困窮している人々は六年を終った子供を生計のための助手にしなければやりきれない場合が多い。工場へなり給仕になり店員になりやってせめて喰べるものだけは、何とかして雇主にもって貰いたいという非常に切迫した要求がある。現に職人のところで使われる小僧さんの姿が目立ってふえて来ている。ブリキヤとか大工とか
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