どういう政党に投票してよいか分別もつかないで、資本主義の搾取というものに疑問をもたない人間として育ってゆくとしたら日本の民主化というようなことは実現しないどころか、政府の無力のため或は無力であることを標榜するより深刻な打算によって、人民大衆は、全く奴隷化した状態におとされてしまわないものでもない。自分の国の政府によって、人民が隷属の立場に追われるようなことを誰が承服出来よう。
 このような現実を現実として見て、それを改善の方向に導こうとする意志。それこそ今日の日本人民にとって生きている文化性であり、文学の内容であり、その素材である。今日の文学は芭蕉の風流より、もっと社会的要素において深刻であり、客観的必然に立っている。
 愛情の問題においてもデスデモーナのハンカチーフは捨てられなければならない。婦人の生活も、自分の支配者である男のために、女らしさを粧うのではなく、ほんとうに人民の幸福をうちたててゆく道で互に頼りになる男女として、ほんとうに女らしく生きられる条件をつくり出してゆく情熱でなければならない。のぞましい社会の招来のために、その建設の方へ一歩一歩と前進の旅をつづけなければならない。そこに新しい世代の詩があり、歌があり、文学があり、また行進曲があるのだと思う。
 文学は何か現実生活とはなれたもののように考えられている習慣があったけれども、決してそうではない。文学は一つの歴史的・階級的な行動であると云える。行動は生存の意義のために、発展の方向を持つことが当然である。わたしたちはこの多難な社会生活の間で自分の爪先がどっちを向いているかということを知ることが大切である。文学に大切な個性ということも、つまりは社会と、そこに存在する階級と自分とはどういう関係にあるかということを理解し、その関係にどう積極的に働きかけてゆこうとしているかという現実のうちに個性はきたえられる。われわれの一歩は、われわれの一生にとってかけがえのない一歩である。私たちは生きる権利をもっている。良心にしたがって、あることを肯定し、あることを拒絶し、社会と自分のために労作し、生を愛するうたを歌う権利がある。その権利を知り、実現する義務をもっているのである。
 文学につれてよく才能ということが云われる。わたしは才能ということにふれて語られている一つの忘られない言葉をここにしるそう。
「すべての才能は義務
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