風流の道のためにさかれなければならなかった。芭蕉の芸術のように精煉し圧縮し、感覚をつきつめた芸術の道が、そのような女性の生活ではなかなか歩むにかたいことであった。家事に疲れた僅かの時間を行燈《あんどん》のもとでひっそりと芸術にささげるのでは、女の才能が伸びる可能もまことにおぼつかない。
 近松門左衛門は封建の枠にしばられなくなった武家、町人などの人間性の横溢をその悲劇的な浄瑠璃の中で表現した。そして、当時の人々の袖をしぼらせたのであったが、ここには様々の女性のタイプがその犠牲や献身や惨酷さにおいて扱われている。しかし、近松や西鶴に描かれた女性は、自分で自分たち女性の声をかく能力はもたなかった。当時社会のきびしい階級、身分制度によって動かすことの出来なかった堰で、互の人間的発露を阻まれた男女、親子、親友などのいきさつが浄瑠璃者の深情綿々とした抒情性で訴えられている。義理と人情のせき合う緊迫が近松の文学の一つのキイ・ノートであった。近松門左衛門の文学に描かれた不幸な恋人たちは、云い合わせたように心中した。幕府はあいたい死にを禁じていたにもかかわらず、この世では愛を実現出来ない男女が、あの世に希望をつないで死を辿った。
 このような哀れな人間性の主張の方法は、決して明治になってからも、日本の社会から消えなかった。そして今日では恋愛から心中しないけれども、生活難から心中する親子が少くなくなって来ていることを私たちは見ているのである。
 さて、日本の歴史は明治に移った。明治維新は近代のヨーロッパ社会に勃興した市民階級(ブルジョアジー)が封建社会に君臨した王権を転覆し歴史を前進させた革命ではなかった。日本のブルジョアジーが薩長閥によって作られた政府の権力と妥協し、形を変えて現れた旧勢力に屈従することによって資本主義が社会へ歩みだしたという特殊な性格をもっている。新しい明治がその中にどんな古さをもっていたかということは樋口一葉の小説にも現れている。一葉の傑作「たけくらべ」は、たしかに美しいと思う。雅俗折衷のああいう抒情的な一葉の文章も古典の一つの典型をなしている。
 樋口一葉は二十五歳の若さでなくなっている。彼女がはじめて小説を書こうとしはじめたとき、その相談のため半井桃水という文学者との交渉があった。樋口一葉ほどの才能のある女が、桃水のような凡庸な作家とどうして親しくなったかと
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