銘々の好むところで自由にやっていて而も団欒《だんらん》して行くということを、自分たちの家庭で実現出来ることとして楽しんで見たでしょうかそれとも全体として価のない作品だとお思いになったでしょうか。その二つの見方はどっちも、それだけの理由があると思います。他愛《たわい》のないという印象を与えたことも真《ほん》とうでしょう。何人かの女の人からそう云う批評を聞きました。その人たちはあれがアメリカで好評なのは何故でしょうと不満相に云いましたけれど、その何故でしょうというところに心を止めた問いを自分にも向けていた人はありませんでした。なんだ、つまらないという意味でも何故でしょうと云い棄ててしまうのと、一歩すすめてその先にあるものを解らして行きたいと思う心との間にある違いが、つまり心のおしゃれの可能である気持とない気持の違いだと思います。あの映画が現在のアメリカが経済的な行詰りを感じていながら、それを徹底的な方向で打開し得ず人々の心がまた現在自分たちの置かれている矛盾や困難を写実的にとりあげた作品を喜ばないような逃避的な気持にいる、その一面の現れがあの映画にでている訳でしょうが、判って見ればあの他愛
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