ことは良かれ悪しかれ欧羅巴《ヨーロッパ》の社会の中で育っている男女とは、気持の出来具合の上で、随分違いがあるでしょう。
アパート生活と一人の女の人の生活とは結びつけられるものだが、そのアパートの一|室《しつ》一室に棲んでいる人が、どんな気持で住んでいるかと云えば不知不識《しらずしらず》のうち、今のアパート暮しは一時的なものという気持、結婚するまでとか、又、結婚している人は、子供が生れるまでとか、そう云う気持が一|室《へや》一室の壁をとおして滲み出ているでしょう。その気分と、始めて一人になって暮して見る若い女の人たちの中にある家恋しさの気持(それはいろいろな複雑な形で出てくると思うが)が結びついて、矢張り何かアパートの一室の中で営まれる自分の生活の中に、永続的な見透しや、確信をもっていないでしょう。
女の人がひとりになると自堕落になるとか、いろいろの誘惑が危険であるというのは、外部との結びつき方を、受身に見て云うことで、その人々の心持ちを主にして、その側から見れば、その気持の中に、自堕落にさせたり、ちょっとした好奇心や誘いかけにもろくなっている様な独立的でない感情があるからではないでしょうか。
男の人はよくこんなことを申します。
「女なんてひとりだと案外すごいんだね、随分だらしが無いよ」
だらしがないと云うのは、家持ちのことをその場合云っているのです。例えば台所がピカピカしていないとか、洗濯物がたまっているとか、お副采をちゃんと拵えないで、罐詰ばかりや出来合のもので済ましたりしているのを云っているのです。こんなことも考えて見るとおかしい、何かユーモアがある。何故か、考えて御覧。若い男の人が一人暮ししていて、増して勤めていて、台所が汚いと云い罐詰を食べると云って、「あいつも相当だ」という人は無いでしょう。それは男と女は違います。でも、違いますというのは何でしょう。
女は台所もきっちりし、自分が料理しているべきだという観念が、わたくし達女の気持にも強く這入《はい》っている。それをちゃんとやって行かぬと、自分自身も気持が悪いところがある。併し今日の世の中で、一人の女の人が一人でアパートを持ってともかく暮しているだけのお金をとって行く働きは、時間から云えば、八時から夕方五時過ぎまでは、仕事に就いていなければならないもっと時間的に長くて働きも烈しい職業も少くありません
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