な社会勤労は在り得ないことを学んで来ているのである。社会のために勤労の力をつくしている数百万の婦人にとっては、男と同じように働くということばかりに希望がつながれているのではなくて、妻であり母であるという女性独特な天賦の事情を、社会的な勤労の条件そのものの中に認められることが痛切に念願されている。その現実は、従って、明治四十年代の一部の進歩的な人々に考えられているような観念の上での男女平等からずっと具体的に成長してきている。社会的勤労において男対女としての権利を認めるばかりでなく、社会全体のより健全な成育のために勤労の場面で母性が無視されていることから生じる深刻な不幸をとりのぞきたいという真摯な願望が燃えているのである。
 昭和十二年七月に事変が勃発してから僅か二年の間にさえ、若い女性たちの重工業への進出は金属工業で男が一六パーセント増したのに対して女子四二パーセント増しとなっている。機械器具製造では男子二一パーセント増しに対して女子三〇パーセントという大幅の増加がある。精巧工業では男子一六パーセント増に対して女子六一パーセント増、特に造船業・運搬用具製造業などでは男子三五パーセント増に対して女子一〇七パーセント増。二年経たないうちに若い婦人は二倍以上に増加して来ている。
 鉱山に働く婦人の数が、男子一五パーセント増に対して女子は一七パーセント増して約二百万人もおり、しかも坑内作業が多くて二十歳未満の女の子がふえているという事を、人は無関心に聞くであろうか。
 全国工場災害率をみると、例年の最高は機械器具であって、十一年八月を一〇〇とすると、十四年一四五と災害が飛躍していて、このことは、尨大な数の不熟練工とその中に加わった娘たちの災難とを語っているのだと思う。しかも、怪我したりする年齢がこれまでは二十一歳以上の屈強な働き盛りのものが自然第一位であったのに、昭和十三年には十六歳から二十歳までのものが二三・六パーセントとなって災難の第一位を占めていることも注目されるのである。
 事務員や女教員その他のところに働いている婦人たちのほかに、工場で働く婦人労働者が去年末にすでに二百二十三万八千人あって、事変直前にくらべれば三十六万人の急増を示しており、今年一杯では更に数万の若い婦人が勤労に従うこととなった。それでもなお足りない労働の補充として、今年は職業紹介所が中心で、家庭の妻
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