ラ坂の車まわしをのぼると、明治初代の建築である古風な赤煉瓦の建物があった。年を経た樫の樹が車まわしの右側から聖堂の境に茂っていてその鬱蒼とした蔭に、女高師の学生用の弓場があった。弓場のあるあたりは、ブランコなどがある広くない中庭をかこんで女学校の校舎が建てられているところから遠くて、長い昼の休み時間にしか遊びにゆけなかった。低い丘のようになった暗い樫の樹かげをぬけ、丘の一番高いところに立って眺めると、一面の罌粟畑で、色様々の大輪の花が太陽の下で燃え立ち咲き乱れていた。それは、女学生になって初めての夏の眺めで、翌年から、そこに新校舎の建築がはじめられた。
 女学校の方で使っていた古い校舎のつくりかたも、明治初年の洋風でなかなか風趣があった。退屈きわまる裁縫室の外には、ひろい廊下と木造ながらどっしりしたその廊下の柱列が並んでそういう柱列は、表側の上級生の教室のそとにもあった。日がよく当って、砂利まで日向の香いがするような冬のひる休み時間、五年生たちがその柱列のある廊下の下に多勢かたまって立って、話したり動いたりしていた。今の女学校の上級生の晴れやかな稚さ、青春の門口のたっぷりした長さと思い合わせると、本当に不思議な気もちがする。長袖の紫矢がすりに袴をはき前髪をふくらませた長い下げ髪をたらし、手入れのよい靴をはいた十八九の娘たちは、一目みて育ちのよさがわかるとともに、何とだれもかれも大人っぽく、遊戯なんか思いもかけず、もう人生の重大さを知っているという様子をしていたことだろう。彼女たちは、本当は何にも知ってはいなかったのだ。それは、今になってはっきりわかる。あの身ぎれいな、行儀のいい女学生たちの重々しさは、知識の重々しさでも希望の重要さでもなくてつまりは、暢びやかでない若さの重み、将来というものにちっとも見とおしがなくて、漠然と充満している若い女の期待の重苦しさであったのである。
 上級生になってから、学校の図書館に出入りしてよいことになった。丁度その頃、千葉安良先生という一人の女先生が西洋歴史からやがて教育と心理学とを受持たれた。この先生こそ、私にとって忘られない先生である。千葉先生が、教科書以外に図書室から借りてよめるいくつかの本を教えられた。ヘッケルの『生命の神秘』という本もあった。文学の本は自分の滅茶な選択でもおのずから整理されてよめたが、文学以外の読書のひろがり
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