経を貫いていなければ、結局はヒューマニズムそのものが生彩ある発動、深化、推進力を麻痺させられてしまうというような、質的な関係につながれているのではないだろうか。
困難な新進の道
芥川賞を得た小田嶽夫・鶴田知也「二新人に訊く」という題で『三田新聞』に小田嶽夫氏の書いている文章をよみ、それと腹合わせに「創生記」(太宰治・新潮)を読み、私は鼻の奥のところに何ともいえぬきつい苦痛な酸性の刺戟を感じた。昔の人は酸鼻という熟語でこの感覚を表現した。更に「地底の墓」(打木村治・文芸春秋)「落日の饗宴」(横田文子・文芸春秋)とを読み、いくつかの「新人論」を瞥見し、私は、文学に、何ぞこの封建風な徒弟気質ぞ、と感じ、更に、そのような苦衷、あるいは卑屈に似た状態におとしめられていることに対して、ヒューマニズムは、先ず、文学的インテリゲンチアをゆすぶって、憤りを、憤るという人間的な権利をもっているのであるという自覚を、呼びさますべきであると思ったのであった。新人として推薦され、人前に立つと、その顔に向って、いやこれは違う、本当に新しいとはいえぬという声が正面から発せられ、しかも、推薦者は、それに対して沈黙するか、悪い場合には、いや、実は新しいんでないことは分っていたんだ、と力無くつぶやきかねない。いわゆる新人にとっても、傍からそれを目撃するものにとっても、これは堪えるに容易でない一つの愚弄である。
文学的新世代の萌芽
真の文学的新世代の萌芽は、そのようなむずかしく、渡るに難い文壇大路小路の地図を知らず、知ることを要しない場所に、文壇人ではない普通の人々のこの人生に対する愛と抗議とのうちにむしろ蔵されている。今日のヒューマニズムの問題の底入れをしているところの勤労的人間の生活の中に潜められている。そして、真の新世代はこんにち、社会的矛盾の相剋の最悪の事情において闘いながら、その争いにともなって自身の文学を創ってゆかなければならない。そこには、先ず勤労人として生活しながら、文学を愛好する面では消費的で、従来の文学青年的であるというような撞著が克服されねばならず、その過程は歴史的にいかに多岐、多難で忍耐を要することであろうか。ゴーリキイの生涯を通観してもそのことは分明なのである。
深田氏の「強者連盟」を読んでも印象されたことであるが、一般的にこんにち積極的意企をもった文学作品の中には、情熱を欲する感情というものが、つよく緊張していることを感じられる。しかし、それはどこまでも情熱を呼び出そうとし、それを欲している感情であって、情熱によって不屈に試みられた人生発掘ではない。このことはこの二、三年間のさまざまな思想的文学的態度の提唱の中にも感じられることである。
日本人が、感情的、情緒的であるという特徴は、どこから来ているのであろう。人文地理的な説明だけでは私には納得しきれない。スペインのこんにちの燃え立つ階級間の争闘を、柳沢健氏が、その民族の持っている一本気で純朴で誠実な徳性によって、惨虐性にまで進められてあるのだと説明していることだけに(中央公論「西班牙を想う」)あきたりないと同じように。思想的・文学的な内容において情熱という言葉が日本に導き入れられたのは、北村透谷によってであったということは、意味ふかい一つの事実である。そして、同時代人の島崎藤村氏が、こんにち「夜明け前」を完成し、国際ペンクラブ東京招致に成功したりしているのは、その実際の生き方において透谷とは対蹠的な方法を選んだ計画性のためであることも、また、私どもにつたえられている日本文学の財産の性質を吟味する上に意味ふかいことである。
今日のヒューマニズムが、この人生と芸術とにおいて、人間生活に及ぼす作用において、感動と情熱とは同じものでない別個のものであるという、深刻な事実を、何かの形で会得させ得るとしたら、それだけでも、日本文学にある前進の足がかりを得たことになるであろう。歴史のぎりぎりのところへぴったり肩を入れて、押しつ押されつ生きること、摩擦に堪えその意味を知ること、その野暮さのうちにどのような美の可能、人間性の発露があるか。人間を人間たらしめ、芸術を芸術たらしめる情熱は常にその外見において粋であることはできない。常に世故にたけていることも、エレガントであることもできないのである。
こんにちの文学の諸錯綜の姿を描き出し、相互関係を示そうとしている努力で、私は「現代文化と思想的文学的傾向」(窪川鶴次郎・日本評論)を有益に読んだ。[#地付き]〔一九三六年九月〕
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻
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