ら、相当に話せる女になるだろうと思わせる女であった。その人と、僅かしか入って居ない金入れのちょろまかしとは、愛にとって実に意外な連想であった。意外であり乍ら、而も、途方もない事だと、其人の為、又自分達の為に恥辱を感じることもなく、二人の第一連想が期せずして其点に一致したのは何故だろう。
「――生憎、私が此辺を昨夜は片づけたんでね、一素何処にあったかまるっきり知らなければ却ってよかったんだけれど」
「――其那に困ってるんだろうか」
「そういう病気の人もあるわ、困ってなくったって」
「出ればいいね」
「そうよ! 本当に出れば私嬉しいわ、どんなに叱られてもいいから出た方がさっぱりするわよ」
 自分が台処に居た時、独りで食卓の前に来た小幡が、丁度あの隅の雑誌を見て居たのに、立って玄関に出た。
「なあに」
「――ハンカチーフ」
 其那問答をした、細かいことまで明瞭に思い出され、悉く意味ありげに感じられて来るのが、愛には苦痛であった。
「これにお前も懲ればいいさ」
 愛は悄気《しょげ》て
「ほんとうよ」
と答えた。
「人には出来心って奴があるから、つまり此方がわるいのさ。――ただ、――どうもそう云う癖があるのは困りものだな――若しそうとすれば……」

 小さい金入れの紛失から、彼等の蒙った金銭上の損害は僅少であった。中には、失望したろうと思われる位の小銭しか入って居なかった。ただ、机や用箪笥の鍵が共に無くなったのは不便であった。其とても、世間に同型のものが無いわけではない。――愛が心を曇らせたのは、小幡が此那ことで来なくなったりするのではないかと云うことであった。彼等にとって彼女は、無二の友というのではない。けれども、此小事件から足踏み出来ないとなると何だか淋しい気がした。如何云ってよいか――つまり、せめて金でも沢山あったらまだしもだが、あれっぽっちで妙な性格の暗さを曝露して仕舞ったこ[#「こ」に「ママ」の注記]ということが、変に痛ましいのであった。愛は、段々金入れをああいう処にうっちゃって置いた自分を悔む度が増した。

「――どうでしょう、照子さん、来るかしら」
「さあね」
「来るといいわ」
「然し、一人で置いとけないなんて、一寸厄介だな」
「何も置かなけりゃよくてよ」
 数日後のことであった。愛が茶の間に居ると格子のあく音がした。
「――御免下さい」
 手伝に来て居たふきが返事をしたが、一種の表情で
「小幡さんがいらっしゃいました」
と、取次いで来た。愛は、瞬間、ふきの表情がぴったり自分にも乗移るのを感じた。彼女は、力を入れて其を振払うようにした。
「そう、お通しして」
 出て見ると、照子は相変らず白粉けのない、さばさばした様子で、何のこだわりもなく
「今日は――いつぞやは有難うございました」
と挨拶した。愛は、楽な心持になった。
「どうなすって? あの晩、電車ぎりぎりだったでしょう」
「ええもう青でした――でも、おそいのはいくらでも馴れてるから……」
 手芸の話などが一頻り弾んだ。ところへ禎一が帰って来た。
「やあ――どうです?」
 照子は一寸愛の方を見、落付いた風で
「――相変らずですわ」
と答え乍ら微笑した。愛は、照子のその態度が、良人にも或印象を与えたのを感じた。
 いつものように二人が聴き手で、照子は、京都で三月程、ひどく窮迫した生活を仕た経験談をした。
「じゃあ折角の京都も見物どころじゃあなかったわね」
「――ところがね、私はそんな中でも遊ぶことは随分遊びましたよ、嵐山へも行ったし、奈良へも行ったし……」
 照子は、彼等を等分に眺め乍ら、我から興に乗った眼差しで語りつづけた。
「小幡には遊べないの。土曜日んなるとね私が云うのよ、貴方も疲れてるだろうから、今日は休んで寝てなさいってね。そして、私が社へ出かけて行って、主人《おやじ》に金下さいって云うの。小幡が病気で医者にかかるのに金がないから下さいって云うの。――その製粉機会社の主人《おやじ》ってのが、仲仕上りで、金なんぞ一文だって只出すという奴じゃあないんです。――厭な顔してね、何処が悪いんだって訊くの。おなかが痛いって寝てるって云うと、幾何いるんだ、十円下さい、十円なんているまいって云うから、今時医者に一遍かかったって五円とられるんですよ、貴方病人を見殺しにするんですかって云うとね、流石《さすが》のおやじ、事ムの人におい、出してやれってので貰って来るの。小幡はすきやきして遊んで待ってるわ。医者にかかるどころか、日曜は一日それで遊んで来るの。――それに友達が来るしね、仕舞いには皆が便宜を計ってくれてね、会計に居た津田なんて男――大胆な、悪賢い人でしたが、随分危険な真似するのよ、津田さんお花見に行きたいんだが金を都合して来て下さい、十五円て云うとね、うん、よしって、社の方へ沢
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