っている。衝立のある正面の大玄関、敷つめた大粒な砂利。細い竹で仕切った枯れた花壇の傍の小使部屋では、黒い法被《はっぴ》を着、白い緒の草履を穿いた男が、背中を丸めて何かしている。奥の方の、古臭いボンボン時計。――私は、通りすがりに一寸見、それが誰だか一目で見分ける。平賀だ。大観音の先のブリキ屋の人である。
玄関の傍には、標本室の窓を掠めて、屋根をさしかけるように大きな桜か、松かの樹が生えている。――去年や一昨年学校を卒業なさった方に、これがどこの光景だか分るでしょうか。私が毎日毎日通った時分、誠之は斯様に黒い木の門と、足の下でザクザクいう玄関前を持ち、大きなコの字形に運動場を囲んだ木の低い建物で出来ていたのです。
校舎が改築されたのは、何時であったか。私は、未だ一度も内部の模様を見知らない。又、見たい心持も起らない。一つの学校として、長年風雨に打ち叩かれた建物よりは、新らしい、高い、ハイカラーな校舎を持つ方が勿論結構である。お目出度い。けれども、私、或はそれより以前に幾年かの間彼処に馴染んだ人々は、誠之という名とともに、どんな庭や廊下を思い出すだろうか。私は、もう一遍、心で、六年の生徒になって見る。そして、秋の末頃の朝、弟と二人で、武蔵屋の横丁から斜に東片町の大通りを横切って、突当りに学校が見える横通りに出て見よう。
何といっても、朝は門が開かないうちに行くのが嬉しかった。十分か十五分、級の違う他の子供と一緒に傍のトタン塀によりかかったり、門の中を覗いたり、地面に踞んだりして、小使が出て来るのを待っている。外から小使部屋が見えたように思う。その時分、小使は、特に朝、権威をもって楽しそうに見えた。三四人、彼方此方歩いて用事をしたり、笑ったり、時々自分達の方を見ながら、煙草をふかして、煙管を掌の上ではたいたりしている。扉の傍に潜り門がついていて、先生は、一せいに生徒のお辞儀を受けながら、やや急いで、そこから内に入って行かれる。一生懸命目をつけて、左手の事務室の傍の入口の方を見る。恐らく小さい喧嘩も起ったことがあろうし、私は私で、大人ででもあるかのように鹿爪らしい顔付をしていたことだろうが、隔った眼から眺め下すと、一様に愛らしく感じられる。
入れもしないのに早く来て、それを誇りに思う心持も微笑まれるし、暑かろうが寒かろうが、小門から出入する気などは毛頭起さず、ひたす
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