わきへ出ちゃいけないといったって、水の勢とその地面の高低で河の流れはどうにでもなってゆく。これは国とか社会とかいうものにも当はまる。「法律だの道徳だのというものも、あれは矢張り大きな河の岸」のようなもので、「そういう河になるとなるたけ流れが変らないようにしようと思って、高い土手を築いたり、コンクリートの堤防を造ったりするけれど、そんなにしたってそれが流れに逆ったものならいつか大きな洪水が来て、きっと堤を切ったり、コンクリートの上を乗越したりする」「どうかすると、そんな堤防をおきざりにして、まるで違った方にどうと押出すこともあると思う」「田舎になんか行くとよくあるじゃないの。昔あすこんとこをあの河が流れていたんですなんて、長い土手の田畝の中におき忘られたように続いているのが、あれはつまり亡びた法律、亡びた道徳のシンボルよ」
河の流れは夥しい水の圧力となって流れているのではあるが、河にはいつもその堤をかみ、堤と昼夜をわかたず摩擦してやがてその岸を必然に従って変えてゆく先頭の力としての河岸沿いの水というものがある。中核の圧力をこめてつたえて岸を撃ち、河の力がこわした堤の土の下に埋まることもあるこの岸沿いの河水の意味を、「女の一生」の中で作者は何故認め得ないのであろう。
「何にしても生活が」根本だということ、「思想というものは母の愛とか肉親の愛というものより遙に深いもの」であることをとりあげている作者は、「驚くべき変化であると同時に恐るべき変化」として若い時代の関心が社会に向けられていることを眺めている。昔は「地震、雷、火事、親父」がこわかったが、今では「地震、雷、火事、息子」だと公荘の洩す苦笑は、あながち公荘のみのものだと云えないものがある。
自分をよい母と自任している允子が、どんなによい母だって、息子に出てゆかれてしまうのだ、という結論から、再び医者として自立する心理の過程に、私は一応の積極的な意味を認めると同時に、現代の中流家庭内におこりつつある何か深刻な親子の利害の対立と分離と、親が子に対して従来の生活を防衛しようとする小市民的な本能の反映を作者の内面から射すものとして感じた。例えば周囲の事情によって允男が親の家を出てしまったということだけについて見れば、それは家を出たことであって、決して親を捨てたのではない。ところが允子は息子の家出と自分らの捨てられたこととを
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