さから多くのところでそういう美感の常識を破って、いかにもさやかである。他の人が絵にも歌にもしていない色彩のとり合せや、日常瑣事の風情に眼をつけていて、色彩の感覚などは今日の洋画の色感でさえ瞠目させられるようなものもある。
清少納言はそういう人であったけれども、人間のいきさつのことに関しては案外にもろく当時の平凡な常識にひき廻されている。知られている通り彼女は中宮定子の官女として宮廷生活をしていたのであったが、この中宮の生涯はあわれの深いところがあって、はじめの頃は華やかなあけくれで内外に大きな勢力もおよんでいたが、後には権力ある外戚藤原氏が奉った他の女人が当時の事情として自然重きをなして定子はやがて、桐壺藤壺などというように中宮のための住居としてあてられている奥の建物から、ずっと端近な今でいえば事務のようなことをする棟に侘住まわれた。清少納言はこの時期にも宮仕えしていたのであったが、彼女の負け嫌いな気質と結びついて現れている当時の常識の姿として、枕草子の中にはこの気立のすぐれたおおらかな中宮のあわれに、優婉な宮廷生活は描き出されていないで、この人の華やかであった時の物語、情景、印象などがとり集められている。勝気な枕草子の作者の気質は、中宮への愛情と尊敬からもその隆々とした絵姿だけで描きたかったのかもしれない。だが人間の何か忘られない姿というようなものははたして富貴の輝きに照らされている時ばかりにあるものであろうか。
枕草子の中にこんな場面がある。
ある朝早く、帝と中宮とが並んで身分の軽い者たちが門を出入りしたりしている朝の景色を眺めていられた。お二人が来られたので女房たちは慌しく引かついでいた夜の物などを片よせている。みんなも一緒にあちらへ行こうと帝がいわれたが、清少納言たちは、おつくりでも致しましてからといっていると、簾の外で物をいいかける男があった。軽くあしらっていると、それがかねがね清少納言の讚嘆をあつめていて地位も名声も高い美男の殿上人であったので清少納言は少からずうろたえる。その殿上人は、女の人は寝起きの顔がことの外美しいと聞いていたから見に来たのですよ。帝がいらしたうちからここにいました、といったことなどが作者の当時の官女らしい才気の反応で描かれている。
この朝の出来事を書いているとき、作者は帝と中宮とが並んで外を見ていられる様子をただおめでたい
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