方をきめてやるという条件つきで、そのことを話すと、女房も、「それも、よかっぺえて……」と云う。
 まるで、何に比較したらいいのか分らない単純さで万事は運び女房はいきなり彼の家から、どこかの商人の家へ後妻に迎えられることになったのだそうだ。
 もちろん、いざこざの起ろうはずはない。嫁入りの日、彼は自分まで嬉しそうにニコニコしながら、念入りに女房の顔を剃ってやったり、髪結いの迎えに行ってやったりした。
 乏しい中に、新しい帯まで祝ってやった彼は、自分も仕合わせそうな顔付きで、女房を嫁入らせたのである。
 独りになった彼は、前より一層のんきになって、気が向くと朝出たぎり夜まで家をあけっ放してどこへか行って来る。飼われた七面鳥などは、餌などをちゃんと貰ったことはない。頼んだ下駄を、いつまで待っても出来《でか》さないので、さっさと取り戻して行ってしまう。
 家があるのは名ばかりで、彼はふらふらと足にまかせ、風来坊のように暮していたのである。そのとき、彼の心の中にはどんなことが起っていたのか、私には、はっきり云えない。彼もまたそう明瞭に、俺はこう思うという心持もなかったのだろう。
 そして、ようやく彼が忘られようとしていた或るとき、突然、まったく思いもかけず、村の者が抱腹絶倒するようなことが突発した。
 それは、あんなにして、自分で顔まで剃って嫁づけた女房を、彼がいきなり行って、引っ攫《さら》って来たという、いかにも彼らしいことが起ったのである。
 或る日、フイと女房の後妻になっている店先へ現れた彼は、帳場の側に坐って、何か選りわけている女房の顔を見ると、とてつもない大声で、訳の分らないことを二口三口立て続けに喋ると、やにわに手を延ばして、女房を掴んだ。
 そして、彼がどこの何者だか知らない亭主が、あっけにとられて、眼ばかり瞬きながら、茫然自失している隙に、女房の手を小脇にかいこむと、彼の能うかぎりの全速力で駈け出した。
 口も利けないようになった女房は、片方だけ草履を引かけたまま、大きな彼の体の傍にまるでお根附けのようにして、家まで引っぱられて駈けて来たのである。
 息をはあはあ弾ませながら、ブルブルする手で湯を飲む女房を眺めながら、煙草に火をつけた彼は、このことについて、一言の説明もしない。女房もまた、聞こうともしなければ、戻って行こうともしない。
 二人はまた翌日から、鳥屋《とや》と共同の小屋の中で、貧乏な日を一緒に迎え始めたのである。
 そして、二人とも中気のようになった今日も、婿から貰う五合の米を分け合い、互の微かな稼ぎで、お互に潤し合いながら暮している。



底本:「宮本百合子全集 第一巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第一巻」河出書房
   1951(昭和26)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年1月2日公開
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