こんなことは、山沢さんと彼との間では、何か感情の行違いなどは起そうにも、起らないほど、どうでもいいことではあったが、傍の者の目から見ると、ただハハハハ、それは面白いなだけでは済まない。山沢さんをごまかすとか、手の中にまるめこんでいるとか、大騒ぎをした。
 けれども、彼は、それ等の非難が、皆自分と山沢さんの仲のよさを羨ましがっているからだということをちゃんと知っていたから、心配するどころではなかった。内心、ますます得意になりながら「山沢家の大久保彦左」の自信を強めるに過ぎなかったのである。
 泥まみれの「大久保彦左」は、家の出来て来るのが楽しみなのはもちろんであるが、足りなくなった材木を巧くやりくったり、わずかの職人を上手に動かしたりして、山沢さんに、よくしてくれたなと云われるのが、何より嬉しかった。
 仕事の方は、彼奴に聞けと云われると、彼はほくほくせずにはいられない。
 来合わせた客の前などで、これがよくしてくれるからというようなことを一言云われると、彼は大きな眼を細くし、頸をすくめながら、溶けそうに、ニコニコしたりしたのである。

        十

 晩飯を済ませて、わずか一二時間、山沢さんのところへ行って賞められるのを楽しみに、金鎚と指金《さしがね》を握った彼は、仕事場中を見まわりながら、裏板の張り方でもぞんざいなことは許さない。
 ちょっとでも手を抜きそうにしようものなら、破《わ》れ鐘のような声で、恐縮させる。大工の嘆《こぼ》すのも無理がないと思われるほど、彼の監督は厳しかった。
 それで、きっと、大工共が内々|諜《しめ》し合わせでもしたのだろう。仲間の一人で、東京下りの口の達者なのを、酔わせて彼の小屋へ遣った。巧く喋りつけて、ちっとは手心をするようにやって来いとでも云われたのだろうけれども、あいにく少し酔いすぎていたので、その男は、彼の顔を見るとすぐ、先ず江戸前の巻舌で、悪態をついた。
「おめえさんの家になるじゃああるめえし、そんなにやいやい云わねえだって、するだけのこたあ憚《はばか》んながら、俺等も玄人だ、ちょん髷爺の世話んなって、堪るものか」
と云うのを聞いた三郎爺は、仁王のようになって、暫くその男の顔を睨めつけていたが、いきなり酒の酔も何も醒めはてるような声で、
「貴様あ、明日から来てもらうめえ!」
と怒鳴りつけたきり、しおしおとその男が出て行
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