波《さざなみ》立ちながら、五六艘の小舟を浮べて、汀《なぎさ》の砂にヒタヒタと寄せる水の色に、三郎は思わずホーッと云って首を傾げた。
山かげの涼しさとは、また味の違ったすがすがしい、潤いのある空気が小波の一襞ごとにどこからか送られて来ては、開いた毛穴に快く沁みて行く。
彼は荷物や何かを、ごたごたと皆傍へ下してしまった。そして布子の胸をはだけて、雲助のような胸毛を、しおらしく戦《おのの》かせながら、目を細くして風に吹かれた。
すぐ側から、ずーっとかなりの長さに突出している船着場の石垣に甘える水の音が、厚い彼の鼓膜に擽《くすぐ》ったい感じを与える。
あまりいい心持で、馬鹿になりそうだったというのは、ほんとのことだろう。
近所の見すぼらしい茶屋で、鯰《なまず》の干物という恐るべきものをお菜に、持って来た握り飯を食べると、荷を解いて最初に水深を計ることになった。
幾里四方という大湖の水深を調査するのに、たかが人間の背の立つところまで、不正確至極な尺度か何かで計ったということは、私にはどうしても信じられない。
いくら、まだちょん髷がざらにあった時代だとはいっても、あまりのんきすぎる。開墾事業に尽瘁《じんすい》した山沢さんのすることとは思われない。
けれども、当事者であった三郎爺の断言によれば、後のことはどうだか分らないが、少くともそのときだけは、そうして計ったに違いないのだそうだ。
いくら拡がっていても、荷担ぎをする三郎が、腰に幾尋《いくひろ》かの細引を結びつけ、尺度を持って湖へ入ることになった。
八
片手には先の方でフラフラするほどの尺度を突き、太い太い腰に細引を結びつけた彼は、夏とはいっても急にヒヤリとする水の中で、鳥肌になりながら、ザブザブと、まるで馬が水浴びでもするような勢いで深みへ深みへと進んで行った。
底は細かい細かい砂である。
一足踏むごとに埋まる足の甲へ、痒《かゆ》いように砂が這いのぼって来る。体は大きくても、度胸は大きいはずでも、子供のときから水に親みなく育った彼は、足元の動揺に、少からず不快を感じたらしい。初めの五六歩は、非常な威勢で行ったのが、だんだん緩《ゆっ》くりになって来た。
細かい細かい砂、少し粗い粒、細かい礫《つぶて》から小石と順々に水は深くなって来て、腹の上あたりで、波が分れるところぐらいまで来ると下
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