に補助席だ。たちまち、舞台横の開いた扉の辺に幾重にもかたまっていた若い男女がそれに向って雪崩《なだ》れ、素早く腰をおちつけた者が三四人ある。
 四十を越した薄色の髪の監督はあわてて手をふりながら遮った。
 ――タワーリシチ! ここへ坐っちゃいけない。ここへは委員が来るんだ。そのために入れたんだ。
 ――どんな委員さ!
 ――本当にここは空けとかなけりゃならないんだ。
 ――おい。
 背広上衣の下へルバーシカを着た一人が仲間をうながした。
 ――立てよ。
 若い男二人は立ってしまったが、日本女のすぐ前へ腰をかけた女はそのままベンチのよりかかりに背中をおっつけて動かず、扉の方へ盛に手招きしている。そっちに、ズボンのポケットへ手を入れた伴れの男がよりかかって立っている。
 ――どうして? おいでよ、よ!
 捲毛のおちている首筋を、よ、よ! と強く動かしつつ呼んでる。男は黙ってイヤイヤしていたが、女があまり云うとベンチのところへきて、低い声で然しきっぱり云った。
 ――止めろよ、工合がわるいや。
 ――どうして?
 下から男を見上げ、女がまわりによく聞えるような鼻声で云った。
 ――もし委員がきたらそのときどけばいいじゃないの、折角芝居見るのに!
 男は、「ブジョンヌイ行進曲」を口笛に吹き、どっかバルコンの方を見ていたが、やがて、
 ――お前ここに坐っといで、じゃ。――今日は女の日だから女ならいいだろ!
 元の扉のところへ戻ってしまった。女は一寸膨れ、手提袋を出して鏡に自分の顔をうつした。その鏡にはヒビがいっている。
 日本女のすぐ後に、小さいピオニェール少女が二人で一つの椅子をかついでやってきた。そして赤い襟飾を並べ、そこへかけ合った。日本女はピオニェールカに訊いた。
 ――今夜誰が芝居やるの?
 ――知らないわ。
 もう一人の小さい方が、
 ――トラム。
と答えた。
 ――どうして知ってるのお前?
 これは知らないと云った方のピオニェールカだ。
 ――張り紙よんだよ……
 トラム(劇場労働青年)はモスクワとレニングラードにある純粋に労働者出身の劇団である。団員はみんな若いコムソモールで、共同経済と厳重な規約の下に階級的な集団生活をやっている。そこへ加入するには必ずある一定の期間実際生産労働に従事した者でなければならないのである。レーニングラード・トラムは自身の劇場をもっ
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