あなたが、ときどき会う兄の御友人に肉体からさきに譲歩しそうになっていることは、自然のようで、また自然でないと思います。
 なぜなら、その人と会うようになった動機は、結婚へ、という前提であって、そのことは結婚生活を知っているあなたに情感の上でのさまざまの思い出やまた燃えたちたい欲望を刺戟しているのですから。兄は認めている、という点も、一つの暗示です。
 いい人がらとわかっていても、知りすぎているEに対して、良人としたい気がおこらない、というのは、さきに兄の友人によって刺戟をあたえられており、その渇望がみたされていず、そのための牽かれる感情がつよいからです。
 御良人の死後Eが、あなたに対して一つも刺戟をあたえるような行動がなかったこと、しかしその人はあなたを好きであったということ、そしてその人には女として刺戟を感じないということ。第三者として考えると、兄の友人とE氏とは性格もちがい、女性への感情の示しかたもちがう人のようです。
 もう幾度か会っている男の人についてなら、その人の年齢はもとより、職業も性格も、感情経歴も、子供づれで来てほしいという心もちのよりどころも、あなたにはおわかりでしょう。
 具体的なことは一つも手紙にかかないで、第三者に判断をもとめることは、現実性にかけています。
 具体的事情をよく考え、自分がもとめているのはどういう人生であり、また子どもの父であった人が、自分たち妻と子とをそのように暮させたいと希望していた生活はどういうものであったかということをじっと考えひそめて見れば、おのずから判断はおできになると思います。
 あなたの場合、問題の核心は、むしろ女の感情というより、もっとデリケートな情感的な点にあります。
 その点の問題を、そと側の「家」の問題だの新民法だのと、いわばことよせた理屈ではなすと、問題がずれて、正直にこころもちを追求して解決する人間としてのよさ[#「よさ」に傍点]が失われます。

          三

 このC子さんのお話をよんで、わたしは失礼ですが、これは事実なのだろうかと思いました。なぜなら、C子さんのお手紙だけで判断すると、C子さんは、東京で戦災にあった実家の両親や弟の消息をしらべるのに、何とあっけなくあきらめているでしょう。引きあげて来て、家族が戦災にあっていたとき、その消息をたずねる人の努力と熱心は実に何とも云えず熱
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