私たちは深く留意する必要があると思う。この問題が、もし今日ジョルジ・サンドが「アンジアナ」(岩波文庫)の序文で希望し説明している方向に解決されているなら、女性が最ものびやかであると云われているアメリカから、パール・バックの「この心の誇り」の悲劇は発生しない筈なのであるから。
日本の近代文学のなかには、「車輪の下」「プチ・ショーズ」と並ぶ種類の作品は思い浮ばない。日本近代精神のこの特徴はまた意味ふかいところで、一つの原因は、少くとも明治に入ってからの若い時代の教育はフランスやドイツのような宗教の根ぶかく残酷な独断に煩わされ毒されていなかったという実際の条件があげられると思う。明治の啓蒙は福沢諭吉などの努力と貢献によって、人間の明るく健かな合理を愛する知性に向って、暗い封建とたたかうために指導された。しかしながら、ヨーロッパ風な宗教の重圧とはちがう日本の封建の重しはそのものとしてはなはだ複雑で、その埒からより広い精神の世界に飛び立とうとする羽ばたきは、近代の日本文学のあらゆる段階に響いている。明治二十年代のロマンティシズムもその後の自然主義も、その羽音には、過去の因習に対して人間精神の自
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