国へかえってしまおうとしている少年少女たちがまじっていただろう。
故郷はそのようにして帰った息子や娘をどんなに迎えてやることだろう。あのおそろしい人波の底には若い生涯を蝕んだ悲哀と不安とが流れていたにちがいないと思われる。
空気の清純な田舎に育った青少年は結核菌に対して免疫が体内に出来ていない。生れたままの美しい肉体は病菌には非常にもろい。田舎の子は丈夫だ。田舎暮しからみたら東京の生活は比較にならないほどいい、と云われる言葉は、都会の空気に代々馴れて、結核なども陽性反応を示す体質になっている人々の放言である。
勤労青少年たちの体はよくない。中国地方の或る工業地帯が故郷である若い人が、この間の徴兵検査で、一年前肺炎をやっている体で甲種になって、おどろいている。自分がその体で甲種になったおどろきは、同じとき裸になって並んだ工場の青年たちが余りひどい体をしていたこととの対比で、一層深刻にされているのである。
新しい国民生活への動きは、この頃急に目立って来た。贅沢の排撃は結構だが、国民の比率で云えば贅沢という贅沢をしている人の数よりも、例えば無言のうちに都会の隅々で健康を破壊されて行っている若者の方が、どれだけか多かろう。
つい先夜も、玉の井あたりの小路をうろついていた若いものたちが二百何人か説諭をうけた写真が出ていた。そういう忠告も、勿論意味がある。けれども、忠告を与えている人々は、例えばテニス・コートなどが、工場の若い人たちのために夕刻から夜へ開放されていないという事実を、どんなに考えているのであろうか。
してはいけない、という面のことは細々と示されていると思う。それは示しやすい面である。若いもの稚いものが、一日の働きの後で何か求める体と心との渇えを、体と心との望郷を暖くみたしてやり、休めてやり生気を与えてやる方法は、真剣に誠意をもって新しい国民生活のなかに具体化するように努力されなければなるまいと思う。日本の未来を大切にするということを別に云い表わせば、青春の尊重ではないだろうか。
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:不詳
入力:柴田卓治
校正:米田進
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