、労働者は、必ずしもこんにちの「娯楽」に心のよろこびを見出していません。芸術が特殊な人びとの自己満足の製作から脱して、本当に大衆の心にふれるように生長してゆけば、こんにちのうすぎたない娯楽性――カストリ的ジャーナリズム、スペクタクルからみんなが救われるでしょう。
日本でこの問題を解決する一つのモメントは、芸術におけるもっと親身なヒューマニティとユーモアであろうと思います。音楽では、職場の音楽(ラジオ)でベートーヴェンのシンフォニーの一部を送ってそれが非常によろこばれた例があります。日本では「大衆の娯楽性」というものが、いつも、愚民教育と粗悪なジャーナリズムの植民地として「いやに大切に」芸術ときりはなして扱われる悲劇をくりかえしています。
二
(A)[#「(A)」は縦中横] 官僚が官僚くさいように、科学技術者が非常に初歩的な「科学の客観性」、冷厳な「科学的公平さ」にとらわれてきた不幸があると思います。文学者が文士くさいように。
これからは、科学が人類の幸福を実現してゆくために貴重な方法であることを、血と肉と情熱とをもって理解されてゆくでしょう。
日本の大学法
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