掛けそこなった焼けこげがついている。伸子は、何だか正視するのが辛いように感じた。
「あなたがた、若しお母さんの家にいらしったら、シーツをこんなにして知らん顔でいますか? そうではないでしょう? 私はここのお母さん役なのだから、家にいると同じに振舞って欲しいのです」
 ひどい様子の敷布は、煌々としたシャンデリアの下で凝っと拡げられたままだ。
「どうか隠しだてはしないで下さい。――本当に心あたりのある人はありませんか」
 伸子は、余りいつまでもきたない敷布を見せられるので、次第に苦々しく腹立ちを感じた。何故そんなことになったか、誰でも見当はつく。二十越した娘ばかりなのだから、どこかに当人がいれば、簡単に言葉で云っただけで充分思い知らせる目的は達すであろう。あくどいやりかたが、伸子に強く嫌厭を与えた。シーツをつくねて置いた娘より、そうやって、威儀を整えた厳しい顔でそれをわざわざ拡げて見せて平気な者の方が、彼女には遙に憎らしかった。
「――思い当る方は、それでは後ほど私のところに来て下さい」
 ミス・ハウドンは、軽く頭を動した。やっとシーツがしまわれた。吻《ほ》っとした空気が一どに感じられた。漠とした不快、ミス・ハウドンの処へ行く者などあるまいという見越し。皆いやな顔で、言葉|寡《すくな》に客室を出たのであった。
 伸子は、気が鬱し、真直再び狭い室に運びあげられる気がしなかった。
「歩いて登らない? あなたのところまで――」
 豊子の部屋は四階にあった。
「ね、飯島さん、私やっぱり寄宿舎は嫌よ」
「――多勢人がいればどうしても自分だけ都合よくは行きませんよ」
「――でも――うるさいわ。――男の学生の寄宿舎でもこんなものなのかしら」
 石の段々を、登っては曲り、曲っては登って行くうちに、伸子は汗ばむ位体じゅうが暖くなって来た。それにつれ、不機嫌もどうやら解《ほぐ》れ始めた。考えて見れば、太った体に肉桂色の絹服をつけ、鼻眼鏡をかけたミス・ハウドン。その傍に、皇后旗でも捧げるように拡げられた焼こげ大シーツ。怒った仔猫のようにむっとして、半円形に坐った沢山の学生が一斉にそれを睨んでいる悲愴な光景を、壁が見物したらどんなにおかしかっただろう!
 ――いきなり、伸子はさも嬉しいことを発見したように、階子を駈けつけて豊子の肩に手をかけた。
「ね、あなたクランフォードを読んだ?」
 彼女は、ほくほく、悪戯《いたずら》ずきな眼を輝してつづけた。
「そっくりじゃあない? 心持が。――ね? ね?――ここにもあるのよ! クランフォードが……」



底本:「宮本百合子全集 第二巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第二巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「文芸春秋」
   1926(大正15)年2月号
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年1月23日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング