は何を現実のより所としてわたしたちの生活にもたらされるものなのでしょうか。なにをどう自覚することがほんとうの自覚なのでしょうか。婦人問題を語る人は、あまりこの自覚という言葉を、そのものだけで世間にばらまくので、わたしたちはまるで道ばたに焼跡があるように、そしてそれを見なれてしまっているように、自覚という言葉を聞きなれて、しかもほんとうのその内容を知らないまま、ただ口伝えに繰返していると思います。
自覚という言葉をここに借りて、わたしたちの現実の生きている心持の状態を調べてみると、自覚という言葉を充分知っている若い女性たちが、生活の現実では自覚していないというギャップがあちらこちらに見られます。これはわたしたちの受けた教育の悲劇です。日本の社会のこれまでのしきたりの悲劇です。わたしたちは言葉よりもさきに、言葉で現わされている生活の実質を身につけるということこそ必要なのに。
若い女性たちの夢は多種多様です。その夢を託す一つのよすがとして、婦人雑誌はどれもこれも争ってけばけばしい表紙をつけてたくさんの服飾写真を載せています。到る処でいろいろな流行歌がうたわれています。アメリカ映画はどんど
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