ん入ってきます。銀座の街は植民地の店々のような色彩を溢らせています。そこを歩いている日本の若い女性たちは、目に入りきらないほどの色彩や、現実の自分の生活の内容には一つもじっくり入りこんでいない情景を、グラスのなかの金魚を外から眺めるように眺めて、時間のたつのも忘れ、わずか一杯のあったかいもので楽しもうとする気持を現わして歩きまわります。
 しかし今日のわたしたちの生活にはまず電力節減、燃料不足などという、極めて原始的な困難から始って、温い冬の靴下がないという困難にまで及んでいます。どんな人でもくさくさすればそこから自分の心持を紛らすことを望みます。どんな若い人が自分の青春が貧困であることを願っているでしょう。けれども、毎日が、そして現実が不如意だからといって、決して自分の生活に作り出すことも出来ず、取り入れることも出来ないものに気をとられて、その気をまぎらしてゆくことが、はたして青春の貧困を満すことでしょうか。そうは思われません。わたしたちはもっと創造的に自分たちの人生を愛し、打ち立てていっていいのだと思います。
 アメリカの最新型のスタイル・ブックが紹介されて、そこには見事なイヴニング・ドレスが華やかな裾を拡げて示されていました。また日本の平面的な顔ではとても冠りこなすことの出来ない、風変りな大帽子などの新型も示されていました。それらが、わたくしたちに異国的な臭いを嗅がすことは嗅がすけれど、それだからといって、わたしたちの生活が一歩でも美しさに近寄れるでしょうか。
 ところがある雑誌には一つの注目すべき小さい数行がありました。それはアメリカの若い大学生や勤労婦人たちは特にそういう人々の生活にふさわしい、よく洗濯のきく丈夫な、色のさめないように特別な染料で染めた服地を持っているということが書かれていました。このことはたった二行か三行の記事であったけれども、わたしたち女の眼を見はらせることだったと思います。同じ一枚のワンピースがほんとうに若い女性の生活をいたわり働く婦人の身だしなみをいたわって、そのように特別に染められた布地で作られているなら、どんなに若い人たちの心の楽しみがふえるでしょう。いろいろな型の切りかえというようなことがいわれるけれども、型を切りかえるまえに布地が破けて、色がさめることをどうしましょう。わたしたちはぜいたくな二着分の布がこの社会で作られるより
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