その子と一寸よって、私はやがて電車で下宿へかえりかかった。夜十一時頃であったろうか。その混んだ電車の中で、その子に、私は自分の小さい茶皮のハンドバッグをかっぱらわれたのであった。
 私は、ありがとうだの、今日は、だのという慇懃な挨拶の言葉はロシア語で云うことが出来たが、かっ払いだの、泥棒! と絶叫することなどは知らなかった。ベルリッツのロシア語教課書に、そのような言葉はなかったのであった。私は日本語で思わず、畜生! と口走って人ごみをかきわけたが、やっと出口まで辿りついた時どこにもその小僧の素ばしっこい姿は見当らない。こうして私は第三回目に時計を失ったのである。
 その時の秋、宮島幹之助氏がジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]への途中モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へよられた。宮島氏と父とは同郷であり、親しかったので、私は自分の下宿へ、この国際連盟委員を招待し、アルコールランプで、鶏のすきやきをこしらえ、馬車に並んでのって、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]市中見物のお伴をした。とり[#「とり」に傍点]は大変かたかった。
 正月、大使館のひとに逢ったらジェ
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