います。別なのが入って居りますから、どうも……。とことわられた。私はその頃、非常に自分の居場所におちつけない妻としての生活をしていた。夫婦喧嘩のようなことをして、家にいたくなかった夕方、ふらりと、その結婚前からの時計、今は故障している時計をもって店も考えつかず足の向ったところで直させたのであった。そこで、胡魔化されたのであったろうと思う。其とて、はっきりした証拠はないのであった。
時計は性に合わないらしいから、いらないわ。そう云い、又思いして、其から永年私は時計なしに暮した。私は、その良人であった人と別れた。
一九二七年の冬、ロシアへ行くときまったとき、じゃあ、餞別に一つ時計をやろう、父がそう云って、私を銀座の玉屋へつれて行った。いろいろ見て、少しいいのがよかろうと、父はモ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]アドの腕時計を一つ選んでくれた。落付いたいい趣味で、リボンも黒いのよりこれがいいと、灰色鼠のようなのをきめた。私は、その頃腕時計しかないようなので其にきめたのではあったが、本来、手頸に何かを絡めているのをこのまない。大抵の時、手からはずして、ハンドバッグに入れて、そして持って歩いているのであった。
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ着いて二年目、と云っても五六ヵ月経ったばかりの或る夜、私は連れの友達とオペラ劇場へ、ラ・トラビアタをききに行った。連れが、その午後銀行から受取ったばかりの札を入れて、ふくらんでいる紙入れを、クロックのところで、一つの外ポケットから内ポケットへしまい替えた。クロックのところは混雑していて、人の目は多かった。
オペラをきいていると、一人の少年が私共のとなりの席へ来て、ここは空いていますかと訊いた。空いています。かけてもかまいませんか。いけない理由を私共はもたないのであるからおかけなさい、と云った。
その少年は、私が舞台を見ているオペラグラスが珍しいのであった。幕間に、それをかりて、ああ近い近い、とよろこび叫びながら平土間の聴衆を見下したり、わざわざ平土間へそれを持って下りて、バルコンの方を見上げたりしている。
いろんないきさつがあって、やがて閉場《はね》ると、その子供は、是非日本の写真が見たいから、ホテル迄送ってゆくということになった。
ホテルの部屋には連れの方がとまっていて、私はずっと遠方の下宿にいた。そこへ
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