消えて仕舞ったと感じるのだ。今まで、自分の魂のよりどころとなっていた種々のことは、此場合、支えとなり切れない薄弱なものであったのか。真個に地震と火事で倒され焼き尽されるものなのだろうか。
 数日経つうちに、私は、次第に違った心持になって来た。「死者をして死者を葬らしめよ」と云う心持である。焼けて滅びるものなら、思想と物質とにかかわらず、滅びよ。人間は、これ程の災厄を、愚な案山子《かがし》のように突立ったぎりでは通すまい。灰の中から、更に智慧を増し、経験によって鍛えられ、新たな生命を感じた活動が甦るのだ。人間のはかなさを痛感したことさえ無駄にはならない。非常に際し、命と心の力をむき出しに見た者は、仮令暫の間でも、嘘と下らない見栄は失った。分を知り、忍耐強くなり、自然の教えることに敏感になった私共は、大きな天の篩で、各自の心を篩われたようなものではないだろうか。私は、会う殆ど全部の人が、何か、身についた新しい知識と謙遜な自分への警言を、今度の災害から受けているのを知った。この力は大きい。
 今度のことを、廃頽しかけた日本の文化に天が与えた痛棒であると云う風に説明する老人等の言葉は、そのまま私共に肯われない或るものを持っている。けれども、自然の打撃から痛められながらも、必ずその裡から人間生活に大切な何ものかを見出し、撓《たゆま》ず絶望せず溌溂と精神の耀く文明を進めて行こうとする人間の意慾の雄々しさは、その古風な言葉の裡にさえも尚お認め得る。多くの困難があり、苦痛があるにしろ、私共は、とかく姑息になり勝ちな人間の意志を超えた力で、社会革新の地盤を与えられたことを、意味深い事実として知っているのだ。
 女性としての生活の上からも、本当に生活に必須なことと、そうでないこととの区別をはっきり知った丈で、あの当時は、一日が五年の教育に価した。余りけばけばしい装飾の遠慮、無力を一種の愛らしさとしていた怯懦の消滅、自分の手と頭脳にだけ頼って、刻々変化する四囲の事情の中に生活を纏め計画する必要に迫られたことは、其時ぎりで失せる才覚以上のものを与えた。
 種々の点から、今東京に居遺る大多数は希望を持った熱心に励まされて働いているが、昨夜のように大風が吹き豪雨でもあると、私はつい近くの、明治神宮外苑のバラックにいる人々のことを思わずにいられなくなる。あれ程の男女の失業者はどうなるか。その家族
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