が鍛えられなければならない。スポーツとソプラノで、多数の若い女が只動物的な活力を横溢させている一方、少し頭脳型のひとは口づたえの呪文のように空虚感や無目的感を誇張するとすれば、それは今日の文化がいかに本質的に低いかを語る悲しい滑稽の一つなのである。
 若しそれを今日のインテリゲンツィアが共通に持たされている色調であるというならば、私はそういう人に、十九世紀末のロシア文学史のわかり易い一頁を読んで貰おう。詩人バリモントやブリューソフが蒼白い虚無だの人生の目的の喪失だのをうたった時は、もう社会の他の一部には彼等詩人たちが何故そのように貧血した虚無しか感じ得なくなっているかという社会的根拠を闡明することの出来る叡智・科学的洞察力が高まって来ていた時であった。
 若い真面目な女のひとが、真実今日の生活に何かの空虚感を感じたとしたら、それは、急速に、努力的に充填されなければならない個人的・社会的生活の空白に対する警笛として、寧ろ動的に、推進力として自覚されなければならないのだと思う。
 これを個人の気力の問題であるというひとが無くはないであろう。血液の型や体質の問題だというひとさえあるかもしれない。もしそうであるならば猶更、人生の生理こそ必要ではないか。千差万別の事情ではありながら、大略今日の物質と精神の窮乏の状態、それに屈し切れない人間性の身もだえに於ては百万人の若い女が近似している。それを積極的なものに発展させ、転化させようとする努力こそ必要である。[#地付き]〔一九三七年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「新女苑」
   1937(昭和12)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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