らでしょうね」と話した人は語った。
一九四五年十月という、日本にとって歴史的な月がすぎて、記念に、三木清賞の会が組織された。そしたら、その発起人の第一に、義理の兄弟である教授が名前を出していた。
云うに云えないこころもちでそれを眺めたのは、私一人だけだったろうか。こういう名流人たちの保身上の「都合」というものはいろいろはたから分らない事情があるのだろう。無力で小さい娘と、名をかくして親切をしてくれる人々に「英雄」が生きて苦しんでいたときの世話をゆだねたのなら、安心して、その身近い者であることを寧ろ誇れる時となって、死者をそのようにとりまくことは、妙に思える。親切や尊敬は、それが最も必要なときに示されてこそ、真実の意味がある。
獄中で死んだ国領五一郎氏のために、またその他の同志のために、無言で何年も何年も差入れその他の世話をして来た一人の女性を知っている。その婦人はそういう親切を咎められて検挙もされた。今日そのひとは、どんな記念賞の晴れ役にもならず混雑した室の小さい机に向って地味に民衆のために働いているのである。[#地付き]〔一九四六年八月〕
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「青年ノ旗」
1946(昭和21)年8月30日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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