三年前ここへ二人が着いたばかりの夜も、カーテンのない窓から、朝子は永いことそとを眺めていた。あのときはこの新聞社の建物の巨大なガラス張りの円天井が廃墟で、その破れと骸骨のような鉄骨の間に霏々《ひひ》と雪が降りかかって消えこむ様子は昼間見ていると一層寂しい眺望であった。
今またこの部屋に臥ていて、朝子は何とも云えない思いで城壁の塔の時計が時を打つ音をきいた。この間うちから自分というものをしらべつくしたあげく、朝子は自分が本当にここで書きたいと思うようなものをかくためには、それに必要な日本での生活を知っていないことを、はっきり自分に認めたのであった。このことのうちに、ここでの生活で成長した自分が見られることは何というよろこばしさだろう。しかし、それはどこまでもここで朝子が身につけた成長の幾何《いくばく》かであって、朝子にとって実感のある日本は、三年前の生活の映像であり、それは保の短い生涯を終らせ、朝子をここへ送った潮ではあったが、朝子としては直接何もふれていない、その環外にあって、どちらかと云えば孤独に、平穏にすごされた中流的な日々であった。今、朝子のかきたいと切に思うのは、そういう生活の日々の姿ではなかった。もっと苦痛に息づきながら、その歌を歌わんとしている熱心な心の経歴をこそかきたい。人類の歴史の善意につながれながら、全く独自な相貌をもっている日本のそのユニークな歌を描きたいと思う。そのために、朝子はどうしなければならないだろうか。最も誠意ある行動として何をしなければならないのだろう。
せき上げる思いにつき動かされて、朝子は寝台から起きあがった。朝子のすべきことは、帰ることだ。そうではないだろうか。自分の悲しみの在るところへ、或は自分の挫折があるところへ、そこへ真直ぐかえって、正直にそれらを経てゆくことではないだろうか。その悲しみと挫折とをこそ、ここの生活を愛すその心が愛すのではないだろうか。もし自分に成長というものがあれば、この価値を知る、それが成長の意味ではなかろうか。朝子は謙遜な、また体の震えるような生活への熱意を感じ、よろこびと悲しみの綯《な》い合わされた涙をおとした。今帰ること、それは朝子にとっては、生活への出発とも思えるのであった。ここから出発してゆく。そのかげには愛する弟のいのちをも裏づけているここの三年よ、もし、自分をここに止めておこうとする好意があるならば、きっと自分がこれから起きたりころんだりしつつ、なおそれを愛し価値あるものにして行こうとする誠意をもよみしてくれるだろう。
朝子はその夜殆ど睡らなかった。次の朝はこの北の都に初雪が降った。窓の前にある建物の屋上に浅くつもった雪の反射で、朝子たちの薄青い部屋のなかは透きとおった清潔な明るさに充たされ、いつもより広々したような感じになった。朝の茶をのみ終ったとき、朝子はしずかな声で、
「私帰ることにきめたことよ」
と云った。素子が何か云いそうに口をすこしあけた。が、言葉は出なかった。やはりあたり前の心でいられなくなって、朝子は立って窓べりにゆき、朝の微かなどよめきの中に白く燦いている屋根屋根を眺めやった。
底本:「宮本百合子全集 第五巻」新日本出版社
1979(昭和54)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第五巻」河出書房
1951(昭和26)年5月発行
初出:「文芸」
1940(昭和15)年1月号
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年4月22日作成
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