そりゃあなたには云うさ、私には云わないよ。そうだろう?」
 ハ、ハ、ハ、と苦しそうに区切って顔を仰向けながら素子は甲高く不自然に哄笑した。そして、笑ったので溜った涙を拭くという風に、眼鏡を手の甲でもちあげて眼をこすった。朝子は自分の心の動揺とともに、そういう形であらわれる素子の混乱も見ていられない気がした。幾分子供らしい恐怖の浮んだ表情になって朝子は熱心に、
「でもその話は、作家としてのことなのよ、そういう範囲でのことなのよ」
と云った。
「どっちだって同じことさ」
 そして再び机の方へ向き直りながら、
「どうでもあなたの考える通りにすればいいが、私は、あなたのおっ母さんたちに妙な云いわけ役をさせられることだけは真平御免だからね。それだけは前もっておことわりだから。帰らないんなら帰らないでいいから、はっきり手紙でも何でも書いといてもらおう」
 ここで暮した三年を入れれば、朝子たちは六年ほど一緒に暮して来た。その年月のなかで二人の女はどっかで少しずつ少しずつちがったものになって来て、今さけがたい一つの岐点にぶつかった。そのぶつかり工合にも、何かめいめいの角度というようなものがあらそえない
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