い。婦人がそこの機構のなかに入って働きますならば、配給の問題とか食糧の問題とかだいぶ実際的でよろしいのでしょうけれども、そういう役人になるための公民権はございません。
それから今までの日本は半分近代化して半分はまだ封建的な気分が非常に強く残っております。それは言葉で申しますと、華族とか士家とかいうのはやかましい規定では身分なんですけれども、家庭のなかでも、同じお魚でもお父さんや何かにはお頭のよい方を差上げる。お魚の目玉にはビタミンAがありませんけれども、頭の方には栄養があるのかも知れません。とにかくお頭という意味で家のお頭に差上げるのでしょう。ビタミンが多いから差上げるという親切からでなく形式で差上げる。お頭にはお頭を差上げて、切身の尻尾の方は主婦がもらう。ところがこの頃のように尻尾のない場合もある。そうすると女の人は一切も食わずにがまんする。それを皆さんはお笑いになるから、恐らくあなた方の御家庭では、切身が三つしかないものでも半分ずつつけて召上っていらっしゃるのかと思います。それは大へん結構だと思いますけれども、よく女の方が一軒の家庭の話をなさいますと、「一切のお魚しかないものなら
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