ない。少くとも私は絶対にそういうように思いません。日本の婦人は日本の歴史のなかで今日幸福になっても遅すぎる位のたくさんの犠牲を払っております。またたくさんの辛抱をしてきております。だから自分の気に入る、気に入らないということは、お友達と議論なさる時に「そんなに感情的になったって駄目よ」とおっしゃるでしょう。それからあなた方に申すのは失礼かも知れないけれども、たとえば恋愛でだまされた時何でだまされたか。あなた方は理窟でだまされることはないでしょう。それは感情でだまされるのでしょう。何だか好きなような、何だか魅力があるような……それはあなた方をだまそうと思えば魅力をつけさせることはできます。男は女よりも社会性がもっと強うございますから、ものを知らない若い娘さんの気に入るようなことは考えればいくらでもできます。だから、それは人にだまされたのではなくて自分の気持でだまされたのです。女の人は用心深いから、自分達の幸福のためにちゃんとした恋愛をしてゆきたいということはみな考えておりますから、「だまされてもいいわ」という人はひとりもおりません。だまされる可能性が百パーセントお化粧の上に見えている人でも私はだまされるとは思っておりません。こういうようなものでありますのに、いろいろな社会の建設、進歩のためには自分の好き嫌いの感情でわれわれは今だまされている。もしだまされていないならあんな政党の立候補者の情勢はどうでしょうか。あんなラジオ放送は耳障りで聴いていられない。聴いている人があるから、私共のなかに遅れたものがあるから、あんな恥かし気のないことを申します。あれはある意味では私達がいわせているのです。自分達は気持の上でどうだ、こうだと筋の通らぬことを考えることによってああいうものを存在させている。だから今度の選挙も、結果によってはまた議会を解散させるかも知れないし、議員の資格の再審査をするというのも、まだ私共の十分準備されていないすきに乗じて、たくさんの反動的な、つまりわれわれをまた不仕合せなものにしてしまう力がいろいろの形で政党の力をもってバックしている。それを世界が見ているからです。だから私共はよく分別のある人間にならなければいけないと思います。いろいろな理窟はわからないでも、自分の生活というものを真面目に考えて、本当に人間が幸福になるためにはどうでなければならないか、そのことについては非常にものわかりのよい人間にならなければ、私共の幸福なんてものは参りません。なぜかといえば、幸福というものは他人のつくるものではありません。どんな闇市場に行っても幸福は決して売っておりません。自分達がつくらなければならないのです。だから幸福な状態が私共の一生のうちにできるようにするには、やはりそれにふさわしいだけの準備がなければならぬ、それにふさわしいだけの判断がなければならぬ。だからどうぞ皆さんも御自分の生活を見る眼はするどくあるように、そうすれば自らどういう風にしなければならないかということはわかるわけです。こういうことは選挙一つの問題ではございません。何も選挙をどうする、こうするという目さきのことでがたがたいっていることもないのです。私の一生は短かいけれども、あなた方の一生はずいぶん長い。まだ三分の一なのですから、大いに希望をもって賢くならなければ駄目です。つまりあなた方の一生は私共の一生の及びもつかないような生活をしなければつまらないと思います。私のお話はこれで終ります。[#地付き]〔一九四六年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:婦人民主クラブ主催講演会の速記原稿
   1946(昭和21)年4月8日
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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